心のこと

安冨歩さんの講演で生き辛さの理由の糸口が見えてきた

2017/01/13

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9月25日、台東区の生涯学習センターで開かれた2016男女平等推進フォーラムで、東大教授の安冨歩さんの講演が行われた。
安冨歩さんは、この記事を読んでからとても気になる存在だった。
まずは話の内容に惹かれ、このたおやかな美しい方が男性だという驚き、そしてまさかの東大教授という肩書き、と、どこを切り取っても気になる存在だった。

人は人を区分したがる

講演会当日、最初の10分で完全に心を掴まれた

安冨さんは戸籍は男性だが、女性の服を着ている。
ウエストが細く腰と太腿に張りがある安冨さんの体型に、女性の服がフィットしたことが始まりだそうだ。

女性の格好をしていると「身体は女性なのですか?」と聞かれるらしい。
髪が長く、喉仏もなく、ウエストが細い安冨さんは女性らしい体型だ。
でもそう言うと、質問した人は「いや、そうではなく…」と口ごもるらしい。
聞きたいのは「付いているのか、付いていないのか」らしい。
そして答えを聞くと、「付いているくせに、そんな服を着ているのか」となるらしい。
女性らしい体型で女性ものの服が似合うということよりも、付いているか付いていないかが重要なのだ。

この感覚は誰もが持っている。
身近な人が妊娠した時、「男の子?女の子?」と真っ先に聞いていないだろうか?
赤ん坊は生まれる前から、エコー画像の股間部分を凝視されている。
そして付いていたら水色のベビー服を用意し、付いていなかったらピンクの服を用意する。
その子がどういう子か分からないのに、付いているか付いていないかで、持ち物が変わってくる。
そして、それが育て方にも影響し、将来就く職業にも影響してくる。
赤ん坊のたった数センチの突起物が、一生を左右するのだ。

それって変じゃないか?
その人がどんな人かどうかより、付いているかどうかの方を気にする社会っておかしくないか?
生まれる前から区分するなんて、そこまでしてまで区分したいのか?
そして区分された人間は、どうしてそのカテゴリーにふさわしい振る舞いをするようになるのか?

こういう切り口で始まる話だった。

 

ハラスメントとは暴力と隠蔽のセットである

最後の質疑応答で、職場でのハラスメントについて質問した方への返答として「そもそもハラスメントとは何か」という話をしてくれたのだが、それもまた素晴らしかった。

安冨さん曰く、ハラスメントとは、暴力と隠蔽がセットで行われること、だそうだ。
私が今まで見聞きした例を考えてみても、とても納得のいく説明だった。

例えば、オヤジが若い女性のお尻を撫でるとする。
・お尻を撫でる→暴力行為
・「これくらいでガタガタ言うなよ。減るもんでもなし。」と言う→本人と周囲に、大したことないと認識させようとする隠蔽行為

例えば、上司が部下を殴るとする。
・殴る→暴力行為
・「お前を育てるための愛の鞭だ」と言う→美談にして暴力を正当化しようとする隠蔽行為

暴力を暴力と認識させないための隠蔽が有効に機能した場合は、ハラスメントは表面化しない。
隠蔽に失敗した場合に、○○ハラスメントとして表面化してくる。

かつては今より「立場」が厳密に機能していたので、暴力が表面化することが少なかった。
・「文句を言えるような立場ではないし…」(被害を受けた当人の思い)
・「そんなことを言ったら、あの人の立場はどうなるんだ」(外部からの圧力)

安冨さんは、「ハラスメントが無い職場は、ハラスメントが浸透しきって、それが問題と認識されていない職場の可能性もある」というようなことを話した。
とても空恐ろしい話だった。

 

「立場主義」という言葉

講演の冒頭10分と、最後10分を抜書きしたが、その間の1時間以上に渡る講演の内容は、もっと深く濃いものだった。
その中で「立場主義」という言葉が出てきた。
「日本は立場主義の国で、それが暴力の根源になっている」という話で、この「立場主義」という言葉が、生き辛さの原因を示すとても重要なキーワードだということは直感で理解できた。
新しい考え方に触れて、興奮した。
しかし、誰かに説明しようとすると、「立場主義」の根深さをうまく伝えることが出来ない。
これは大きな概念だ。
一度では消化できなかったのだ。

「立場主義」について、もっと詳しく知りたくて、安冨歩さんの本を2冊買った。
この大切な言葉のほんとうの意味を、自分の中に落とし込みたい。
安冨さん本

東大教授の語る「幸せ」

最後にもう一つ、安冨歩さんの話で、印象に残った部分を紹介する。

「幸せとは、快楽にふけることではない。自分にふさわしい生活をすることだ。
自分にふさわしい、自分に合った生活をすると、感性が開く。
自分を押さえ込んでいたものを外すと、いろいろなことが開化する。」

自分を押さえ込んでいたものとは、つまり私がビリーフと呼んでいるものだ。
ビリーフというとスピリチュアルぽく聞こえるが、東大教授というスピリチュアルとは縁の無さそうな方からこういう話を聞くと、自分を押さえ込むものから解放されることは自分を取り戻すことであると、改めて思い知らされる。

そして、自分は男性である、ということから解放された安冨さんの穏やかな笑顔が、自分を取り戻すことがどれだけ幸せなことかを教えてくれた。

 

今回購入した安冨歩さんの著書はこちら

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