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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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谷元圭介の涙が報われた日 2016年日本シリーズ 広島vs日本ハム

2016年10月29日、マウンド

2016年10月29日、マツダZoom-Zoomスタジアムで行われた日本シリーズ第6戦。
広島カープが2勝、日本ハムファイターズが3勝で迎えた一戦だ。

日本ハムの優勝が決まった瞬間に、マウンド上で満面の笑顔でガッツポーズを見せたのは、日本ハムファイターズの谷元圭介だった。
日本ハム優勝の歓喜の渦の中心でもみくちゃにされた谷元圭介は、試合後のインタビューでこう語っている。
「ほんとに僕が締めていいのかな、と思いました。だって、(大谷)翔平の方が絶対盛り上がるでしょ?」

谷元は冗談めいて話したが、あながち冗談とは言い切れない。
彼には忘れようにも忘れられない苦い思い出があるのだ。

目次

2013年8月18日、ベンチ裏

それは、2013年8月18日のことだった。
帯広で行われた日本ハム×ソフトバンクの一戦。
ルーキーの大谷翔平が4番ライトでスタメンに入ったことで、観客は盛り上がっていた。

試合は進み、7回。
ブルペンで待つ谷元に「次、行くぞ!」と声がかかった。
肩を作って出番を待つ谷元。
しかし、8回のマウンドに呼ばれたのは、谷元ではなかった。

にわかには信じがたいウグイス嬢のアナウンスが聞こえる。
「…日本ハムファイターズ、選手の交代をお知らせします。
ピッチャーの河野に代わり、ライトの大谷。ライトの大谷に代わり、赤田が入ります。
4番、ピッチャー、大谷。背番号11…」

大谷翔平は、二刀流という球界初の挑戦をしている。
試合中に投手から野手へのポジション変更をしたことはあったが、野手から投手への変更は、これまでなかった。
5点差で日本ハムが負けていたので、新しいことを試すのは今だと栗山監督は考えたのだろう。

この選手交代のアナウンスを聞いて、観客もマスコミも大興奮だ。
充分な準備をしていた谷元の目の前で、大谷翔平は慌ただしく肩慣らしをしている。
大歓声が大谷を包んだ。

 

谷元は、大谷が投げた後の次の回のマウンドを任され、きっちり抑えた。
4人の打者に1安打1暴投した大谷より、いい投球だった。
しかし、負け試合で1イニングをきちんと抑えたからといって、誰も喜ばない。
観客が大谷の投球をもっと見たかったと思っているのが伝わってきた。
皆の目は大谷に向いていた。

社会人からプロ入りし、4年目のシーズン。一軍に残るために必死の毎日だ。
どれだけ必死に投げても、皆の目は高卒のルーキーに注がれている。

ベンチ裏に下がる谷元の目に涙がにじんだ。
悔しかった。ただ、悔しかった。

翌日のスポーツ紙には、大谷の二刀流についての記事がでかでかと掲載されていた。

 

スターには、華がある。
努力や実力だけではどうにもならないものがある。
プロの世界の厳しさを、谷元は全身で受け止めていた。

2016年10月29日、試合後

日本シリーズ後の、谷元のインタビューに戻ろう。
「ほんとに僕が締めていいのかな、と思いました。だって、(大谷)翔平の方が絶対盛り上がるでしょ?」
と言った後、本音を漏らしている。
「翔平の方が盛り上がるだろうと思いながら、一年間頑張ってきたし、ご褒美で投げたいなという思いは持っていたので、投げられて嬉しかった…」

 

2016年の日本ハムの投手陣は不安定だった。
調子の上がらない守護神増井が、シーズン途中に先発に転向した。
増井の後の守護神の座についたマーティンは、足首を怪我し、日本シリーズ直前に離脱した。
谷元は、中継ぎに抑えにと便利に使われる中、3勝2敗3セーブ、自己最多となる28ホールドと、しっかりと日本ハム投手陣を支えていた。
「ご褒美」と冗談めかして語っていたが、それだけ今シーズンは踏ん張らざるをえない局面が多かったということだ。
この谷元の地味であるが堅実な仕事ぶりを、投手コーチの吉井理人はきちんと見ていた。

日本シリーズ終了後、大谷ではなく谷元に抑えを任せたことを称賛する声に、吉井は「でしょ?」と嬉しそうに答えている。

1989年10月14日、近鉄優勝

実は吉井にも忘れられない試合がある。
1989年10月14日、当時吉井が在籍していた近鉄バファローズがリーグ優勝を決めた試合だ。

この試合の9回のマウンドに上がったのは、一年を通じて抑えとして活躍した吉井理人ではなく、トレンディエースとして人気のあった阿波野秀幸だった。

この起用には賛否両論あるが、守護神としてマウンドを守り続けてきた誇りを傷つけるには充分すぎる仕打ちで、試合後の胴上げの輪に入ることを拒否するほど、吉井は打ちのめされた。
近鉄は優勝したが、他の選手からも「どうして吉井じゃなかったんだ?」と疑問の声が上がるなど、後味の悪さが残ってしまった。

再び、2016年10月29日

自分が味わったあの思いを、もう誰にもさせたくない。
吉井のこの願いが、優勝が決まる9回のマウンドを谷元に任せるという起用に結びついた。

最後に大谷が投げればいいのにと思った人は多いかもしれない。
しかし、一年を通して日本ハムを応援し続けてきたファンは、この起用の意味をわかっている。

谷元は、ベンチ裏で悔しさを噛み締めた日のことを、きっと一生忘れないだろう。
でも、地味な働きでもチームを支えられることと、それを見ているコーチもファンもいることを、最高の形で知ることができたこの日のことも一生忘れないだろう。

この悔しさと喜びが、谷元のこれからの力になる。

※アイキャッチ画像はルーキー時代の谷元。鎌ヶ谷にて撮影。

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