心のこと

「いない」と信じると、実際にいなくなる現象について

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いるかいないか

少し前、いわゆる保毛尾田保毛男問題が起きた頃、とある知人がこう言った。
「とは言っても、LGBTの人って周囲にいないよね。」

それを聞いて、「あれ?」と思った。
私の周囲には、わりといる。
10人に1人はLGBTだとも聞いたことがあるが、そうだよな、と思うくらいにはいる。

私の周りにたまたま多いのではないと思う。
とはいえ、初めてゲイの友人ができたときには、自分の無知ぶりに驚いた。
ゲイ専門の飲み屋の存在は知っていたが、ゲイ専門の英会話教室(好みの先生を指名できる)や、ゲイ専門の不動産屋(シェアハウスという言葉が一般的ではなかった頃、男性同士で暮らせる物件には限りがあった)があることは知らなかった。
ゲイ専門の税理士さんには、つい聞いてしまった。「仕事、あるんですか?」
「あるわよー!結構忙しいのよー!」と言っていた。例えば、愛するパートナーがいても法的な婚姻関係がないと相続人になれないから、早くから考えておいた方がいいらしい。
ゲイのみのコミュニティがあり、専門のサービスがいくつもあるということは、サービスを受ける対象がそれだけたくさんいるということだ。

…という話を、冒頭の知人にしようかと思ったが、「この世にはいない!」と信じている人に、「そんなことない」と言っても、私の周りが特別だと言われて終わる可能性があるなと躊躇してしまった。
そして、言うタイミングを逃してしまった。
 

見えなくなるとき

なぜ、その知人の周りにはLGBTの人はいないのだろう?、と考えた瞬間、気がついた。
いないのではない。見えていないのだ。

「いない」と言い切られると、いると知っている人も説明するのが面倒になって「そんなことないよ」と言ってしまう。
自分が当事者だったら、その人にはカミングアウトしずらいだろう。
また、本人も、いると思っていないのだから、目の前の相手がそうであるという可能性も考えないだろう。

ふと思った。
自分が「いない」「ない」と信じるせいで、実際はあるのに見えなくなる現象は、他のことでも起きているのではないだろうか。
 

例えば

「楽しいことなんて全然ない」と言う人がいる。

「楽しいことなんて、私の周りにはない」と勝手に諦めているようにも思える。
目を見開いて探したら、世の中には楽しいことが溢れているのに。

「楽しいこと」は自分で能動的に楽しんだ方が、絶対楽しい。
受け身で楽しいことを与えられるのを待っているより、自分で楽しいことがないかキョロキョロした方が楽しい。
楽しそうなことがあったら、自分で手を伸ばして試した方が楽しい。
その後も、これをきっかけにして自分から楽しみを生み出そう、という気持ちがあったほうが、断然楽しい。
 

決めると実現する

パターンはいろいろあれど、「こういうものはこの世にない!」と決めると、実際に自分の周囲から無くなってしまう。

もしこれが事実なら、逆に「世の中には楽しいことしかない!」と決めると、そうなるはずだ。
わりと私はこう信じていて、楽しいことばかりの世の中で、楽しく暮らすことができている。

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