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数千年を超えて語り継がれた、道無き道を行く秘訣はこれだ

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数千年も語り継がれた物語

旧約聖書という書物がある。
書かれたのは、紀元前5世紀とも紀元前8世紀とも紀元前10世紀とも言われている。
どの説を取るにしても、数千年が経過しているのは確かだろう。

これほど長い間読み継がれ、地球上の多くの言葉に翻訳されているのは、もはや宗教的な理由だけではないと考えている。
この書物には、人間の本質が書かれているからこそ、現代まで残っているのだ。
数千年前に書かれた物語だが、今の私が読んでも共感したり勇気づけられたりする。

パール・バックの著作に『聖書物語/旧約篇』というものがあり、この本はとても読みやすい。
パール・バック自身がまえがきで語っているように、宗教色を排除して物語として聖書を扱っているので、宗教書とは違う面白さを知ることができる。

(聖書は)ある人たちにとっては神の教えであり、他の人たちにとっては最も純粋な文学である。またさらに他の人たちにとっては人間性の苦悩、葛藤、歓喜を知らせる知識の要約である。…まえがきより

(ちなみに、三浦綾子の『旧約聖書入門』はとことん宗教色に染まっていて、パールバックとの解釈の違いが面白い。)

旧約聖書は新しいことを成し遂げる秘訣を書いた話である

旧約聖書といえばノアの箱舟やモーゼの十戒が有名だが、これらを含め多くの話が、人の上に立ち集団をまとめつつ、新しいことを成し遂げることの難しさを書いた物語である。

旧約聖書における信頼と尊敬の集め方

人の上に立つためには、旧約聖書の主人公たちは下記の条件のいずれかを満たすことで、尊敬と信頼を得る。

・杖を蛇に変えるなどの魔法力を持つこと
・一人で何千人もの敵に打ち勝つ戦闘力を持つこと

そしてこの力は、神から祝福をされることで得ることができる。
これだけだとただのおとぎ話なのだが、面白いのがここからである。

神から与えられた力を発揮するために必要なもの

実は、神から祝福されたとしても、それだけでは力を発揮できない。
力を発揮するには、神が自分の傍にいることを心の底から信じていなければいけないのだ。

群衆は、お前にそんなこと出来る訳ない、と罵る。
家族は、そんな危ないことしないで、と止める。
例えば「すべての動物のつがいが乗れる船を作る」といった前代未聞のことをしようとすると、たくさんの嘲笑と反対を受ける。

神が自分と共にある証拠などはない。
それでも、自分が選んだ道が正しいと信じて進んでいく者に、神は自分の力をそっと分け与えるのだ。

 

現代の社会では

これは現代の社会にも通じることだと思う。

杖を蛇に変えるなどの魔法力は、今ある手持ちの資源(能力・人材を含む)を最大限に有効活用するための工夫する力といえるだろう。
一人で何千人もの敵に打ち勝つ戦闘力は、困難を恐れない心と、弱い立場をハンデにしない戦略を考える力のことである。

そして、前例のないことや、大多数の者が行かない道を行こうとすると、周囲は嘲笑したり反対したりして、無難な道を行くよう圧力をかけるだろう。

そこから抜け出して成功する人は、自分が成功することを根拠なく確信している場合が多い。
周囲にどんなに反対されようとも前に進む者こそが、自分の力を超えた大きな協力を得て、何事かをなしうることができる。

これが聖書が伝えようとしていることなのだ。

 

その他の教え

聖書にはそれ以外にも、現代に通じる教えが掛かれている。

例えば、聖書の中では神への感謝を忘れた者が恵みを失い転落していく。
同じように、現代の社会では周囲への感謝を忘れたものが転落していく。

心強いのは、「俺には無理かも…」と弱気になったとしても、それでも立ちあがって前に進む者に神は力を与えていることだ。
十戒で有名なモーセでさえ、元はウジウジした性格で、よく神に怒られている。

人間、どうしてもあきらめたくなる時はある。
でも疲れ果て座り込んでしまったとしても、そこから何度でも立ち上がり、やり直すことができるのだ。

 

大いなる力は我々の中にある

もし聖書に書かれていることが全て現実離れした嘘だらけだったら、人々に飽きられ、忘れ去られているだろう。
神の存在は信じなくても、数千年の時を超え、人間の経験が残した書物は信じるに値するのではないだろうか。

つまり、新しいことを始めるにあたって、どんなに周囲からの反対にあおうと、この道こそ自分が行く道と信じられるなら進むべきだ。
そして一度は無理と諦めたとしても、休んだらまた立ち上がっていいのだ。

神がいてもいなくても、大いなる力は我々一人一人の中にある。

 

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