Gallup認定ストレングスコーチ しずかみちこ プロフィール
Gallup認定ストレングスコーチ・しずかみちこのブログに訪問してくださり、ありがとうございます。
ざっくり自己紹介
しずかみちこ
1974年生まれ。仙台出身
保有資格:
Gallup認定ストレングスコーチ
2級ファイナンシャル・プランニング技能士(FP2級)
ビリーフリセットアドバイザー
ストレングスファインダーのTOP5は収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考。
私の全34資質の順位はこちら。
得意技:分析すること。「何となく」を言語化すること。次の打ち手を立てること。
趣味:
美味しいものを食べること(グルメというより食いしん坊)
野球観戦(ヤクルトとオリックスを応援しつつ、実は今でも近鉄ファン)
旅行(国内外問わず、野球・温泉・美味しいもの・鉄道を巡ることが好き)
※食べ物にしろ旅行にしろ、安さを追求するときと(B級グルメも18きっぷも大好き)、高級路線を追求するときと(特別なときに奮発するとテンション上がる)、差が極端な傾向があります。
私が目指している世界
私が目指している場所は、一人一人が自分らしく生きられる世界です。
世間の目や、誰が決めたのかわからない息苦しい常識に縛られるのではなく、自分がどうやって生きるかを自分で決められる世界です。
全ての人が、自分の強みに誇りを持って生きていられる世界。
他者が持つ強みを尊重して、自分の強みも尊重される世界。
全ての人が弱みに落ち込むことなく、お互いの強みで補い合って生きていけたら、この世界はとても優しくて、とても力強いものになるはずです。
今よりももっと優しく力強い世界に近づくために、ストレングスファインダーを通じて、全ての人は全員違って全員素晴らしいことをお伝えするべく活動しています。
なぜこの世界を目指しているのか
どうして私が一人一人自分らしく生きられる世界を目指しているかというと、私自身が人の目を気にして暮らすことに息苦しさを感じていたからです。
初めてそれを感じたのが、小学5年生のときでした。
私は幼い頃から周囲の大人の顔色を伺うタイプの子供で、いわゆる「大人の言うことを素直に聞く良い子」でした。
文章を書くのは幼い頃から好きで、学校で行事ごとに書かされる「お母さんへの手紙」や「老人ホームの入居者さんへの手紙」など、子供らしからぬ出来だととても褒められていました。
でも小学5年生のある日、思ってもいないことを書いている自分が突然嫌いになりました。
頭の中には「こういう風に書けば先生は喜ぶ」という文章があるのに、手が書くことを拒否するのです。
本当に突然、雷に打たれたように身体が硬直し、手が動かなくなったのです。
何かを書かなくちゃと思うのですが、その代わりの文章が思い浮かびませんでした。
それまで自分の素直な気持ちを封印してきたため、何も浮かばなかったのでした。
その後、長い間、本当の自分の気持ちを取り戻すために試行錯誤しました。
自分が「イヤ!」と思っていることに気づかずに平気な顔で無理をしたせいで、身体を壊したこともありました。
最終的に、ブラック企業に入社してしまった時、「自分を守らなければ死んでしまう!」と感じて逃亡したことが、自分を取り戻す大きなきっかけになったと思います。
この時点で30代後半。
最初に自分らしく生きたいと思った小学5年のときから30年近く経ってしまった訳ですが…。
その後、ストレングスファインダーを通して、自分自身を知ることができました。
ストレングスファインダーによって人は一人一人違うということを納得できてからは、自分らしく生きることに抵抗がなくなりました。
そうすると自分らしい仕事を選べるようになり、自分に合った仕事なので無理なく順調に結果が出せるようになりました。
人間関係も気負うことなく、肩の力を抜いたまま、仕事にもプライベートにも打ち込めるようになりました。
今は、自分が望む生き方にどんどん近づいている感覚があります。
日に日に自分らしさが研ぎ澄まされてきているのを感じるので、毎日が楽しいです。
自分らしく生きたいと願い始めてから、それが叶うまでに30年以上掛かりました。
それでも、30年掛けてもたどり着く価値がある場所だと思います。
さすがに時間を掛けすぎたかもしれませんが、だからこそいろいろな試行錯誤に共感できます。
今、生き辛さを感じている方がいるならば、自分らしく生きることで楽になれるとお伝えしたい。
今、試行錯誤をしている方がいるならば、道を切り開くお手伝いをしたい。
そんな気持ちで、この仕事をしています。
※個別セッションには、こういう気持ちも込めています。
これまでの歩み
順風満帆とは言い難いのですが、回り道と寄り道たっぷりの楽しい人生を送っています。
いろいろな経験をしたことと、いろいろな人に出会えたおかげで、今の多くの方々と一緒に人生を考える仕事ができていると感じています。
私のこれまでをざっくりと書いていきます。
生まれてから学生時代
1974年 横浜生まれ
2歳の頃には既に鉄道が好きで、見たことがない色の電車が通ると、あれに乗せろと泣きわめいていたらしい。
なので、私の鉄道好きはかなり年季が入っている。
(なお、横浜生まれなのに仙台出身と公言しているのは、横浜時代の記憶がないため)
1978年 親の転勤に伴い仙台へ。
神道の幼稚園に通いながら、近所のお寺の坐禅会に通い、ミッション系の小学校に進学するという、めちゃくちゃな宗教教育を受ける。
おかげで、どの宗教も一理はあるが絶対ではないという真理に幼少時に気づく。
1993年 青森の大学へ
仙台より寒くないところに行きたかったのに、成績の及ばなさと様々な偶然が重なり、青森県弘前市にある大学へ。
人気のない地方の国立大学という独特な環境で、半年は雪が降っている状況に震えつつも、伸び伸びと学生生活を過ごす。
社会主義国の制度というものを見てみたくて、1995年に外貨兌換券廃止直後の北京に1ヶ月半滞在したのが一番の思い出。
就職してから今まで
1997年 刺身トレーメーカーに就職
福岡県民に聞いても「それどこ?」と聞かれる福岡県の内陸部にある田舎町にて就職。
役職者がほぼ全員社長と同じ名字(社名とも同じ)というファミリーな会社で、福岡らしい男社会に揉まれる。
(それでも氷河期に就職できたことがありがたい)
1年後、遠距離恋愛中の当時の彼氏の就職が関西に決まったことを知り、大阪支社に転勤。
(大阪支社に転勤が決まっていた同期は、福岡に彼女が出来たばかりで嫌がっていたので奪い取った)
(それなのに大阪に引っ越した直後に彼氏と別れた)
更にその1年後、社長が「パソコン使用禁止!手書きのほうが速い!」と言い出して、(あなただけだよ…)と思いつつ、気が弱く言い出せないまま将来が不安になり退職。
※その頃の話はこのあたりの記事にしている
1999年 税理士の勉強しつつフリーター
突如簿記に目覚めて、税理士試験の勉強を始める。
この間は、試食販売の売り子をやったり、カフェのウェイトレスをやったり、NTTドコモのコールセンターにいたり。
消費税法に受かった時点で、これをあと4科目もやる気力がないことに気づき、税理士を諦める。
※その頃の話はこのあたりの記事にしている
2001年 リクルートスタッフィング
リクルートスタッフィングという派遣会社に入社。
最初の5ヶ月は大阪でジョブコーディネーターをしていたが、環境が合わず、試用期間中にも関わらず転勤願いを出し、試用期間中にも関わらず認められる。(すごい会社だ)、
2001年秋から、東京に来て、経理になる。
経理に来てからは楽しく過ごしていたが、新しい世界が見たくなったときに、希望退職者の募集があったため、便乗して退職。
経理と経営企画を兼務していたこともあり、社長や役員の仕事を真近で見続けることができたし、会社の将来に関わる業務にも関わらせてもらえるなど、貴重な経験がたくさんできた。
私の仕事の基礎は、このリクルート時代に大部分が培われている。
※その頃の話はこのあたりの記事にしている
2009年 レアジョブ
レアジョブというオンライン英会話の会社に入社。
前職が会社の規模が拡大しすぎてつまらなく感じたため、小規模の会社を中心に転職活動をした。
そのときに紹介されたのがレアジョブ。
今では上場会社だが、当時は社長2人、中国人エンジニア1人、大学を出たてのスタッフ1人、あとは日本語が苦手な中国人の派遣1人とアルバイト数名という小さな会社だった。
社長がやっていた経理や人事の仕事を巻き取るところからスタート。
会社は波風に揉まれつつ大きくなっていったが、夫が余命半年と診断されたり、故郷が津波の被害にあったり、上場する意味が見いだせなくなったり…ということが次々に起きて、疲れ果てて退職。
(なお、夫は結局は誤診で、今では元気いっぱい)
ほぼ生まれたての会社から、従業員が60人くらいになるまでを見届けた。
短期間で急成長したことに伴う組織に発生する痛みと向き合い続けた期間だった。
限られた人材をいかに育成するかを考え続けた経験が、今の糧になっている。
2012年 ブラック企業
飲み会で隣の席になった人に誘われて、ちょっとしたお手伝いのつもりで入ったIT企業がブラック企業だった。
WEBサイト制作を格安で受注し、外注に出し、外注先から上がってきたものに難癖をつけて外注料金を値切りまくり、その値切った分が利益という黒い商売。
だけど、お金を払ってもらえないのが分かっているはずなのに繰り返し仕事を受ける外注先がいることに、IT業界の闇を見る。
もちろん社内的にもブラックで、常に怒鳴り声は響き渡る、オフィス内の会話が盗聴されている、社員を本人には無断で書類上だけ辞めさせて社会保険を外すなど、これだけで数万字は書けるネタの豊富さ。
心身ともにボロボロになってなんとか逃げ出す。
私が逃げた後の半年間で、社長の愛人以外は皆逃げ出せた。良かった良かった。
2014年 アウトソーシング会社
ブラック企業で履歴書がボロボロになるも、自分の売出し方法を変えることで、無事に次の就職先が見つかった。
某専門分野の事業を大企業から請け負って行う会社の経理として入社。
怒鳴り声の聞こえない会社って平和!と思ったのも、3ヶ月だけ。
入社後4ヶ月目にして、上司の経理課長が会社のお金を横領している痕跡を発見する。
それだけでもショックなのに、経理部長に「余計なことを見つけやがって!俺の立場を考えろ!」と激怒され、身の危険を感じる事態に。
それでも経理部長の妨害をかわしつつ横領事件の全容を解明したところ、経理部長が暗躍し始め、株主を味方にして、全容解明を私に命じた社長をクビに追い込む事態に。
私自身にもいろいろ起きて次は私の番だと感じたので、大株主でもある新社長に「経理部長と私と、どちらが必要ですか?」と聞いたところ、「経理部長」と答えられる。
その裏に張り巡らされた大人の事情があまりに黒すぎて、怒りを通り越して感動した。
というわけで、横領の裁判用の資料を作り、裁判の進展を見届け、二度と横領が出来ないような経理の仕組みを作りきったところで、退職。
なかなかできない貴重な経験ができた1年半だった。
2015年 不動産業界の会社
レアジョブに続き、アウトソーシング会社で経理の仕組みをイチから作り上げたことが楽しく成果も出たので、それを売りに転職活動をする。
会社の一部を独立させて新会社を作り、管理部門を立ち上げる、という業務へのオファーを受けて入社。
ここでストレングスファインダーを深く学び、上記のプロジェクト完了後は強みに関わる時間を増やしたかったので、1年間会社員と並行して準備をした後、独立。
この会社には、今も顧問として籍を置き、進行中の新プロジェクトがある。
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