人生の節目には、岡本太郎が出てきて私に声を掛ける
ふと通りかかった本屋で本を買った。
「カバーをお掛けしますか?」
通常は、余分なゴミが増えるのが苦手でカバーはもらわないのだが、なぜか無意識に口から「お願いします」という言葉がこぼれ出た。
そして本を包むカバーとそこに記された書店名を見て、また驚いた。
「タロー書房…」
ブックカバーに書かれたその書体には見覚えがあった。
「はい。岡本太郎さんのデザインです。」
またか!
つい呟きかけて慌てて口を閉じる。
あれは新卒2年目のときだ。
当時営業をしていた私は、中国自動車道を浮かない気持ちで走っていた。
仕事も人間関係も辛くて辛くて、何もかもから逃げ出したかった。
そんな気持ちで吹田JCTの複雑な合流をぼんやりと走り抜けようとしたとき、突然強烈な光に包まれて、世界が真っ白になり、何も見えなくなった。
慌ててハンドルを握りなおし、光が来た方を見てみたら、万博公園の太陽の塔が、金色の顔に真夏の太陽の光を集め放射していたのだった。
自分が何か行動している訳でもないのに周囲のことが嫌で面倒で逃げたくなっている心を、岡本太郎に見透かされて殴られたような気分になり、黙々とまっすぐ目的地に向かったことを覚えている。
10年ほど前には、こんなこともあった。
その日の私はとっても落ち込んでいた。
しかも私が自分で原因を作ったことなので、ただしょんぼりと電車に乗っていた。
人と関わって生きている以上、誰かを傷つけることはどうしてもあるわけで、もうそんなの嫌だから、人里離れたところに引きこもってしまいたい、なんてぼんやり考えていたら、 突然、
「そういう感情があるからこそ人間なんじゃないか」
という声が聞こえてきた。
びっくりして見上げると、電車の中吊り広告の中から、岡本太郎がこっちを見ていた。
一見柔和な表情だけれど、すっかり射竦められてしまい、その目を見つめ返すので精一杯だった。
こうやって岡本太郎には何度も頭を殴られ、励まされている。
突然思いも寄らぬところから沸いてきて、強烈な魂を浴びせかけてくるこの人は、いったい何なのだろう。
今回も「逃げるな、進め」と言われているに違いない。