採血検査で気を失わないために私が看護師さんにお願いしてること
採血検査が苦手だ。
注射は全般的に嫌だが、何かが入ってくるよりも、抜きとられる方がさらに嫌だ。
以前は採血のたびに倒れていて、というより注射器を見るだけで気を失うくらいひどかったのだが、とある方法を使ってからは、気を失わずに乗り越えられるようになった。
そのヒントは「会話」である。
気づいたきっかけ
注射より痛かった
15年ほど前のある日、私は病院に行った。
先生は言った。「血を採りましょう」
心の底から嫌だったが、頷くしかなかった。
採血の準備をしに看護師さんがやってきた。
私はお願いした。「具合が悪くなるので、横になった状態で採っていただけますか?」
看護師さんは、ではこちらに、と私を別室に案内した。
看護師さんはモデルのような体型をした女性だった。
背が高く、頭が小さく、顎のラインで切りそろえられたボブの髪は黒くまっすぐでツヤツヤしていた。
赤い口紅が病院には不似合いな印象を受けた。
ラインで縁取られた大きな目からは、気の強そうな、そして仕事のできそうな光が放たれていた。
正直なところ、ピンクの丈の短めなナース服がコスプレに見えた。
それほど病院にいるには異質な存在だった。
(数年後、奥田英朗の小説『イン・ザ・プール』を読んだ時、登場人物の看護師はこの看護師さんで脳内再生された)
別室のドアを閉め、私にベッドに横たわるように命じた後、看護師さんは言った。
「いい年して、注射が怖いなんて、何を言っちゃってるんだか。」
私は反論した。
かつて採血の後、貧血を起こして倒れたことがあること。
その時、倒れないように無理した結果、あまりにも具合が悪くなりすぎて、それから採血が苦手になったこと。
看護師さんは容赦なかった。
「でもそれ中学生のときなんでしょ?なにまだ引きずってるの?(年齢が)30近くにもなってそれ?」
看護師さんは延々と私を罵り続けた。
どうして病院まで来て、ここまで言われなければいけないのだろう。
具合が悪いから来てるのに、追い討ちをかけるようなことを言われるなんて。
悔しくて涙ぐんでいる私に看護師さんは言った。「はい、終わり。」
私は聞いた。「何が終わったんですか?」
「え?採血に決まってるじゃない。はい、ここ押さえて。しばらく横になってていいから、起き上がれるようになったら出てきて、待合室で座ってて。」
ベッドの上に残された私はびっくりした。
腕を縛られたことまでは気がついていた。
でも採血の準備が進んでいることには気づいていなかった。
針が刺される、あのチクっという瞬間も気づかなかった。
血が抜かれるときの、手から血の気がスーっと引く感覚すら全く気づかなかった。
看護師さんの言葉が太い槍となって私の心にグサグサ刺さっていたため、腕に刺さる細い針に気づかなかったようだ。
採血の準備が進んでいるとも思わなかったため、強い恐怖を感じることもなかった。
鮮やかなその手腕に感動した。
採血の恐怖を軽減する方法
あまりに感動したので、この方法を今後も応用したいと考えた。
とはいえ、初対面の何も知らない相手を罵ることができる人はめったにいない。
いろいろ試したうえ、今は2つのことをお願いする方法に落ち着いた。
病院で診察を受ける時も、健康診断の時も、この方法でお願いしている。
お願いしている2つのことはこれだ。
1.実況中継はしないでもらう
2.ひたすら喋り続ける
1.実況中継はしないでもらう
採血の時、今何しているかを逐一教えてくれる人が多い。
「アルコールで消毒しますね」「血管見えずらいですね」「ちょっとチクっとしますよ」「血がよく出てます、大丈夫です」
ああ、書いているだけで具合が悪くなってくる。
私はこうお願いしている。
「実況中継はしないでください。ご自分のペースでサクサク進めてください」
実況中継されると、どうしても意識が採血に占められてしまう。
意識が行くと、更に具合が悪くなる。
心の準備をすることと自ら恐怖心を煽ることがイコールなので、心の準備もしないほうがいいのだ。
私の知らないうちに、準備を終えて、事を済ませてほしい。
2.ひたすら喋り続ける
血を採られている間、私は無関係なことを必死に喋り続けている。
前述の看護師さんのように、私に何も気づかせず、ひたすら罵ってくれるのが一番いいのだが、これは難易度が高い。
なので、最初のうちは、採血とは無関係のことを話し続けるようにお願いしていた。
「休みの日は何をしていますか?」など、こちらから話題はふるが、あとは話してもらっていた。
しかし、これもうまくできる人とできない人がいる。
どうしても針を刺すときに無言になってしまう人がいるのだ。
確かに集中力がいる瞬間なのだろう。無理強いはできない。
なので、私が話すことにした。
実はこれも難しい。
意識が採血の方向に向くと言葉が出なくなってしまう。
だから一生懸命自分の脳に鞭打って話し続ける。
このときの話題は、考えなくても話せることに限る。
野球シーズン中であれば野球の話をしたり、オフシーズンであれば、休みの日にしていたことや、好きな食べ物の話をしたりしている。
自分が話すと、きちんと呼吸をするからいい。
怖いと、どうしても息を止めてしまう。
息を止めると酸欠になり、頭がクラクラする。
酸欠状態から貧血状態になるのは当たり前だ。
でも、話し続けると、息を吸う。
無意識に呼吸を止めることが無くなり、いい効果を生んでいる。
恐怖が軽減されると心身ともに楽になる
私の貧血は精神的なものが大きかったのだろう。
今でも採血は好きではないが、この方法を取ってからは、意識を失わずにいられるようになった。
以前は、採血後、20〜30分は横になっていたが、今では5分程度で動けるようになった。
また、因果関係があるのかないのかは分からないが、横になって取るようになってからは、採血後に青あざができたことは一度もない。
もちろん採血検査の結果、貧血と診断された場合、この方法はそれを治すのには全く役に立たない。
あくまでも精神的な負担を軽減する方法である。
しかし、病は気から、というように、精神的な負担が軽減されることで、随分と身体も楽になるのである。