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キャラメルボックス活動休止で思うこと。私の人生の舞台は淡々とした日常生活が上演され続けているけれど、それでも舞台の主役を他人に譲り渡すことはしたくない


キャラメルボックスの突然の活動休止にショックを受けたことをきっかけに、演劇についていろいろと思い出すことがあった。

演劇は、細く長く見続けていた。

大学時代は「弘前劇場」という劇団をよく見ていた。

平田オリザと現代口語演劇理論

もともとのきっかけは、平田オリザが提唱していた現代口語演劇理論に強く惹かれたことだった。
現代口語演劇理論を簡単に説明すると、日常的な話し言葉で進行される演劇である。

それまでの演劇は、文字通り「芝居がかった」ものが普通だった。
若干大げさな身振りと、必要以上に抑揚が強調されたセリフ回し。
非日常な空間であることを意識するにはいいかもしれないが、見続けていると食傷気味になるのも確かだ。

平田オリザはそこに疑問をいだき、日常をそのまま舞台上に切り取ってみせた。

平田オリザの劇団である青年団の舞台を見たかったのだが、青森に済む貧乏学生には難しい。
東京までの交通費や宿泊費はもちろんのこと、インターネットがない当時、チケットを手に入れるのも簡単ではなかったのだ。

そのとき、青年団の流れを組む弘前劇場という劇団が地元にあることを教えてもらい、訪れた。

弘前劇場

弘前劇場では、青年団の現代口語演劇理論から更に一歩踏み込んで、役者のネイティブな言葉そのもので芝居を行っていた。
つまり、方言だ。

弘前劇場は当時は本拠地を弘前に置いていた関係か、劇団員には津軽の出身者が多かった。
なので舞台上の人物も津軽弁で話す。
その津軽弁は役者自身の言葉で話されるため、役者の出身地域によって同じ津軽弁でも微妙な違いがでる。
また、同じ役者のセリフでも、状況に応じて方言のレベルが変わる。
親しい友人同士の会話なら、標準語話者には意味が通じないような激しい津軽弁の応酬となる。
かしこまった場面なら、標準語の単語を使いつつ、かすかに方言のイントネーションが混ざった言葉となる。
この状況や相手によっての方言の使い分けは、地方出身者ならよく分かるだろう。
そのリアリティが胸に響くのだ。
 
 
 
私が初めて弘前劇場の舞台に足を運んだのは1995年のことだった。
確か、「職員室の午後」という作品だ。
特に大きな事件が起きるわけではない。
小さな事件や思いの行き違いを内包しつつ、淡々と日常は進んでいき、そのまま幕は降りる。

ドラマチックなことが起こるのがドラマだと思っていた私は、かなり面食らった。
バブルが弾けて数年が経過していたが、まだ名残は残っていた時代だ。
テレビも雑誌もキラキラとしていた。
私自身は全く冴えない田舎の学生だったが、いつかきっと光の当たる場所に行けると考えていた。
(当時はまだ、「東京に行けば夢が叶う」と地方の若者が信じていた時代だった)

しかし、目の前の舞台では、何気ない日常が、密かに眉をひそめる程度のささやかな事件を内包し、スポットライトを浴びていた。
そのことをうまく受け止められずにいた。
 

うまく受け止められないながらも、私は弘前劇場の舞台に通い続けた。
そこに何らかの大きな意味があることを薄々感じていたのだ。

お金がないながらも、なんとか工面しては演劇を見に行った。
当時、弘前劇場が公演をしていたスタジオ・デネガの隣には美味しいパン屋があったのだが、演劇を見るお金は作れても、そのパン屋で買い物をするお金がなく、ただただパンの棚を眺めていたことを覚えている。
  
 

そして今

あれから25年経った。
その後も弘前劇場は、私に「日常生活」を見せ続けてくれた。

そして私は、ずっと、淡々と日常生活を続けている。

東京に来れば自動的に夢が叶うわけではないと気がついた今も、東京の片隅でそこそこ楽しい生活を送っている。
 
 
そう、全ての人が、自分の舞台を持っている。
そこで上映されるのは、何気ない日常生活かもしれない。
ちょっとした心が温まる出来事とため息をついてやり過ごすレベルのトラブルを抱えて進んでいく日常生活だ。
この人生の舞台の上で、いかに自分の言葉を発し、いかに自分の思いを表現するかが、舞台の良し悪しを決めていく。

あのときの私は、自分自身が嫌いだった。
だからドラマを求めていた。
劇的な出来事が起きて、私を別の世界に連れて行ってくれることを待っていた。
必死に迷ってもがいていた。
 
 
そして、今の私は。
今の私は、すっかりと自分のことを好きになった。
淡々とした日常を愛している。
お金だって、当時よりはずっと持っている。
今ならいくらでもあの店のパンが買えるだろう。

それでも、ふと思う。
自分でもよく分からない問いの答えを闇雲に求めていた、あの痛々しさが貴重だったと。
自分でも何を求めているかが分からないまま、目に止まったもの全てに手当たり次第に顔を突っ込んでいたあの頃の経験が、確実に今の私を作っている。

私の人生の舞台の幕がいつ降りるのかは分からないけれど。
でも、自分の人生の舞台の主役を他人に譲り渡すことだけはしたくないなと、あらためて思った。

私は、自分の人生を妥協なく生きたい。

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