OKUDAIRA BASE 自分を楽しむ衣食住〜新しい生き方について考えるきっかけをくれた本
友人がおすすめしていたこの本。
ここ数年は、「私には無理!」という理由で丁寧な暮らし系エッセイに手を伸ばすことはなかったのだけれど、なぜかこの本には惹かれて手に取った。
OKUDAIRA BASE 自分を楽しむ衣食住
この本の著者である奥平眞司さんは、自らの日々の暮らしの様子をYoutubeで発信しているユーチューバーだ。
東京で一人暮らししている25歳(出版時)。
彼の趣味は「暮らし」というだけあり、日常の暮らしそのものを楽しんでいる。
朝5時に起き、身支度を整える。
1時間かけて朝食を作り、30分かけて味わう。
7時から仕事開始。仕事場は自宅の一角だ。
12時には昼休み。
20分で昼食を作り、30分で食べ、10分で後片付けをする。
13時から仕事再開。
17時に仕事終了。
仕事を終えたらランニングをし、食材を買って帰宅。
19時頃から1時間かけて夕食を作り、その後は気ままに過ごす。
22時就寝。
淡々と繰り返される彼の日常だが、彼がこの毎日を慈しんでいることが、文章からも写真からも伝わってくる。
時短が是という思い込み
まずこの本を読んで驚いたのは、朝食作りに1時間かけることだ。
我が家の朝ごはんは完全に真逆である。
・前夜の残りのご飯をレンジで温める。
・前夜の残りの味噌汁に新たな具を加えて火にかける。
・作りおきのお惣菜やお漬物を並べる。
ここまで5分。
食べるのも10分かからない。
奥平さんが朝食作りに1時間かけると知って、真っ先に浮かんできた言葉は「そんなことしていいんだ」だった。
自分から浮かんだこの言葉で、私は家事の時間はなるべく短くしなければいけないと思っていることに気がついた。
「時短が是」であり、「時短こそ正義」であると、私の中に根付いていたのだ。
家事を省力化して時短を目指すのは、他のことに時間を使いたいからのはずである。
他のやりたいことに時間を使うための手段の一つが、家事の時短なのだ。
ところが、いつの間にか、家事の時短が目的となっていた。
私は、家事に時間をかけることに罪悪感を抱くようになっていたのだ。
朝食作りに1時間かけると読んで、その罪悪感がざわめき、私は何をやっているのだろう?という気持ちになった。
私は朝ごはんを5分で用意する生活をしているが、そこで浮いた時間は、いったいどこに消えているのだろう?
極限まで手を抜いた朝食を作っているのに、その結果は、無意味に消える時間を捻出しただけだった。
仕組みが変わる今だから
もう一箇所、はっとしたところがある。
「将来のこと、収入の不安、専業主夫、結婚」とタイトルが付けられたページだ。
これらはYoutubeの視聴者からよく質問される項目らしいが、私の脳内では、こう変換された。
これは、「右肩上がりに成長することが当然という価値観に染まっている人からよく質問される項目」なのだろうなと。
奥平さんの生活は、自分が必要とするものを把握し、その分だけを手にする生活である。
道具も日々の食材も、必要な分だけ購入する。
生活費も、月にいくらあれば暮らせるのかを把握していて、それ以上の収入があっても無闇に生活レベルを上げようとはしない。
がんがん働いて年収をどんどん上げていこう、という右肩上がりの生活からは程遠い。
右肩上がりが当然という価値観の人から見たら、不安定で危なっかしくて仕方ない生き方である。
右肩上がりの成長という前提
日本だけでなく先進国と呼ばれる国々の様々な施策は、右肩上がりに成長することを前提に作られている。
新興国も同じだ。
国全体が右肩上がりに成長していけば、個人の生活も右肩上がりに成長していく。
国を成長させることが国民の幸せである、という前提のもと、経済活動が行われている。
でも、世界の多くの国々でこの前提が壊れていることに、皆が気付いているはずだ。
もちろん日本もだ。
社会保障制度は当初の計画から随分と崩れている。
不動産が買えば値上がりする時代はとっくの昔に終わっている。
終身雇用制度も、制度を維持することで、会社が維持できなくなる状況が見え隠れする。
自国の右肩上がりが望めなくなったとき、中国を始めとする新興国の成長に頼ろうとした。
しかし、中国の成長率も鈍化した。
それでもまだ人々は、右肩上がりの成長を前提に作られた社会の仕組みの上で生きている。
この仕組みを守るために必死だ。
経済活動を止めないように、中央銀行は経済対策を打ち続けている。
仕組みがあまりに大きすぎて、もう後戻りができないのだ。
だが、コロナの影響で、全世界がいったん歩みを止める状況となっている。
もういい加減、現実を受け入れよう。
右肩上がりを前提としない、新たな生き方を考えるときが来ているのだ。
新しい生き方
私が幼い頃、1980年代には、個人が所有する乗用車について「いつかはクラウン」という言葉があった。
最初はカローラのような大衆車から始まり、コロナ、カムリ、マーク2と乗り換えつつ、高級車のクラウンというゴールを目指していた。
住居も、郊外であっても、賃貸から始まり、ゆくゆくは一戸建てに住むことがゴールだった。
どのように生きて、どのような物を選ぶのか。
右肩上がりの成長を前提に作られていた世界は、多くの人が同じ価値観に沿って生きていた世界である。
そして、人々が自分のものと信じている価値観は、広告と、広告に見えないように作られたメディアによって育まれたものである。
一方、奥平さんはこの本で言う。
将来、もし子供ができたとしたら…。
そのときは、今の暮らしのままというわけにはいかないでしょう。
暮らし方は当然変わるはず。
でも、考え方や生き方は変わらないのではないかと思っています。
暮らし方は変わるけど、考え方や生き方は変わらない。
そこには確固たる自分の軸がある。
暮らし方が変わると、生活に必要な物も変わっていく。
でもきっと奥平さんは、自分に必要な物だけを、自分の目で選び続けるだろう。
自分の軸があるので、環境に応じて暮らし方が変わっても、芯にあるものは変わらない。
国が幸せを用意してくれる時代はとっくの昔に終わった。
これからは、奥平さんのように、自分が幸せと思える生活を自分で用意していかなければいけないのだ。
そのためには、自分が何を幸せに思うかを知っていないといけない。
それは、右肩上がりの時代に言われていた幸せとは、全く違う形のものかもしれない。
それを自分で見つけていかなければいけないのだ。
自分らしく生きる
「自分が幸せと思える生活を自分で探し、自分らしく生きていくこと」と言うと、お金を稼がないで生きることだと受け取る人が多いが、私はそれは違うと思っている。
自分らしく生きることとは、自立して生きること。
そこには、金銭的な自立も含まれる。
右肩上がりの時代は、自分を殺してでも国や会社の方針に従っていたら、給与は上がり、年金が貰える時代だった。
今の時代は、もう、国や会社の方針におとなしく従っていても、給与は上がらず、年金だけでは生活できない。
奥平さんは、まずは自分ができることを仕事にしつつ、趣味の暮らしの発信を続けていたところ、そちらがメインの仕事に移っていった。
今後もそこから派生した新しい仕事の展開がありそうだ。
自分の価値観を持つことが大切な時代だから、今後は自分の価値観をお金に繋げることが重要になっていくと考えている。
会社員であろうとそうでなかろうと、自分の価値観をお金に繋げることを模索していきたい。
紹介した本
思いがけず心の奥が揺さぶられたため、熱く語ってしまったが、この本自体はゆったりとした時間が流れる心地のいい本だ。
リラックスしたいときに読むと、ほっとする。