自分の手で食料を獲得できないことに気がついたときの話
東北地方の小さな町
数年前に、東北地方を一周する旅をした。
そのときからずっと、頭を離れない思いがある。
東北の太平洋側の小さな小さな町。
二両編成の電車は、駅員のいない駅を辿る。
駅前には○○商店といった名の、タバコ屋をかねた雑貨屋がぽつり。
バーバー△△といった名の床屋がぽつり。
(もちろん赤と青と白で塗り分けられた筒が色あせた状態で回っている。)
あとは見渡す限り田んぼや畑や海が広がっている。
生きていくために必要な知識
それまで見てきた本や雑誌には、こんなことが書いてあった。
「大人の女である以上、ハイヒールを履きこなさなくてはいけません」
「30歳を過ぎたら上質な服で高級感を演出しましょう」
「時間を効率よく使うために、日曜日には次の週の予定を立て、動きをイメージしましょう」
なるほどなあ、と思っていた。
でも、あの海辺の町では、ハイヒールなんて履いたら、砂に埋まってしまって自分の足で家に帰れない。
薄いシフォンの服なんて、木に引っ掛かって破れてしまう。
その日の予定は天気によって決まるから、一週間の予定なんて漠然としか立てられない。
あの町で大人の女に求められることは、黒いゴム長靴で素早く動くことや、熱中症や虫刺されを防ぐ、自分を守るための服の着方なのだ。
本を素早く読むスキルよりも、大根の双葉と雑草を瞬時に見分けるスキルの方が重要。
なぜ?って5回考える前に、まずは何も考えずに害虫を一発で仕留める俊敏さが必要。
私が必要だと思っていた力は、あの町で生きていくためには二の次に位置する力に過ぎなかった。
私の価値観は、すべてが揃って整った都会で生きていくための知恵に過ぎなかったのだ。
食べさせてもらっている私
水道をひねれば水が出るように、あちこちに食べ物が溢れているから気がつかなかったけれど、誰かが作ったり獲ったりして食料を用意してくれているから、私は生きている。
いくら文明が進化しているといっても、自然と向き合って食べ物を作っている人には敵わない。
彼らのおかげで、私は生きている。
当時の私は「これからの世界を生きていくためには新しい知識が必要だ」と思っていたけれど、それは思い上がりでしかなかった。
自分の手で食料を獲得できないどうしようもない私だから、生きていくために知識が必要だったのだ。
体を使って食料を生み出せないから、頭を使って付加価値を生み出すしかないのだ。
でも、私は、自分が得意なことで生きていくと決めたから。
何もかも揃った恵まれた場所で甘やかされながら、精一杯、自分ができることを積み重ねて、生きていく。
※上記の画像は、2009年8月に気仙沼市岩井崎で撮った写真です。
当時の携帯電話で撮影したため画質が荒いのですが、津波の前のあの町の様子を残しておきたくて、あえてこの写真を使用しています。