『江副浩正』書評。幼い日々の寂しさから老いの錯乱までをも書き記した大作
江副さんってどんな人?
江副浩正。
この名が日本中に響き渡ったのは1988年6月のことだった。
リクルート事件…政治家が逮捕されるまでの事態となって日本を大きく揺るがせた事件だ…の中心人物として、江副の名前が大きく報道されたのだ。
当時、私は中学生だった。
リクルート事件が何かをよく分からないまま、江副浩正の名前は悪い人の名前として刻まれた。
私が再びこの名前と出会ったのは、2001年のことだった。
人材派遣会社への転職を希望した私は、大手の人材派遣会社に手当たり次第に履歴書を送った。
そのうち唯一内定通知をくれたのが、リクルートスタッフィングという人材派遣会社だった。
この会社が、あのリクルート事件を引き起こしたリクルートのグループ会社であることは、入社してから知った。
そして、江副浩正が大学生の時にしていたアルバイトの延長がリクルートという会社になったことを知った。
リクルートの人たちから聞く江副浩正の話は、私の思う「よく分からないけど悪いことした人」という印象から掛け離れていた。
「江副さんって、結局のところどんな人なのだろう?」
この私の長年の疑問を解き明かしてくれる本が出版された。
江副浩正の人生を丸ごと覗き込める本だった。
稀代の起業家
江副浩正は、稀代の起業家である。
私がそう感じたのは、リクルートという巨大な企業を一代で築き上げたからではない。
彼が作ったのは企業ではなく、数多くの仕組みだった。
顧客主義
まず『江副浩正』を読んで知ったことは、江副は顧客主義を徹底していたことだった。
彼のキャリアは、大学新聞の広告取りから始まった。
幼い頃から金銭的に困窮していた江副は、東京大学在学中に、歩合給制に惹かれて東京大学新聞の広告営業のアルバイトを始める。
大学新聞の広告といえば、キャンパス周辺にある喫茶店などの広告だった。
しかし、小さな広告をちまちま集めていても収入には繋がらない。
江副は、視点を顧客に切り替えた。
新聞読者の欲しい情報は何だろうか?
例えば、東大受験生。彼らは合格者名簿の載る号を必ず買うだろう。
受験生の中には不合格者が含まれる。
不合格者が必要とする情報は、予備校の情報だ。
それならば、予備校に広告を掲載してもらおう!
予備校広告の思惑が当たり、多くの広告を集めた江副は、次の手段を考える。
もう一方の顧客である広告主の視点に立って考える。
そしてついに閃いた。
「東京大学の学生を採用したい企業にとって、東京大学新聞ほど効率のいい新聞はないのではないだろうか」
後のリクルートの主力事業となる採用広告と江副が結びついた瞬間である。
その後も江副の顧客主義は徹底していた。
顧客から想定外の注文が舞い込んでも、Noとは言わない。
むしろ前向きに受け入れる。
[box class=”box2″]おかしなものだ。競争が激しくなると、こちらが新しい事業立案を提案する前に得意先が新しい事業のあり方を考えて注文をしてくれる[/box]
しかし、江副の顧客主義は、顧客の言いなりになるというものではなかった。
[box class=”box2″]大切なことは、自分の意見を持ってお客様の意見を聞く姿勢。自分の意見を持ってお客様に聞かなければ、お客様の本当の声を聞き取ることができない。こちらの考えとお客様との意見の間に本当の答えがある[/box]
採用広告を集めることにも成功した江副は、これまた顧客の期待に応えて「株式会社大学広告」という会社を起こした。
新しい仕組みづくり
採用広告が軌道に載ったところで、江副は考えた。
「今やっていることは学生のためになっているのだろうか?」
ここでも江副の視点の切り替えが光る。
「企業は自分の知らせたいことだけを載せたがる。でも優秀な学生ほど、どちらの会社がいいかを較べたいんだ。」
採用広告を見る学生の視点に立つと、掲載する企業の情報は項目が統一されている方が比較がしやすい。
言われてみれば当たり前のことだが、それを形にした人はいなかった。
採用広告にお金を出すのは企業側なので、企業の知らせたいことを載せるのが、当たり前だったのだ。
しかし、エンドユーザーが使いやすくないと、広告を出しても目に留まらない。
また、項目が統一されていると、制作側も原稿が作りやすい。
広告主側、ユーザー側、編集側、三方ともWin-Winになる仕組みに気がついたのだった。
この後、この仕組みは、他の領域にも応用されていった。
それどころか、江副がリクルートを離れた後も、リクルートはこの仕組みを使って、手がける領域をどんどんと広げていった。
家を買うなら『住宅情報』
旅行に行くなら『エイビーロード』
中古車を買うなら『カーセンサー』
結婚するなら『ゼクシィ』
仕組みを作り上げた本人がいなくても応用ができる仕組みを、江副は起業の初期で作り上げたのだ。
この仕組みは、社会を劇的に変えた。
それまでは、就職はコネ、家も車も足で歩き回って探し、旅行は近くの旅行会社が持ついくつかのツアーから選ぶしかなかった。
つまり、足と口コミとコネが全てを決めていた社会だったが、江副の作り出した仕組みのおかげで、自分で情報を集め、比較検討し、自分に一番合ったものを選ぶことができるようになったのだ。
社会を根本から変えた男。
江副浩正は、全くもって稀代の起業家である。
リクルート事件
江副浩正が作り上げたものは、他にもある。
精度の高いSPIテストを作り上げ、会社と学生のミスマッチを減らすといった人事教育事業から、奨学金制度といった文化・社会事業まで幅広くある。
安代町長に請われて開発した安比高原スキー場においては、過疎化に悩む町を、大行列ができるリゾート地に生まれ変わらせた。
しかし、事業はどんどん拡大していく中、綻びも見え始めた。
江副二号
複雑な家庭に生まれ育ち、自分で仕事を始めるまでずっと金に苦労していた経歴が故なのだろうか。
ふとしたきっかけから、バブル時代には錬金術のようにお金が増えていった株と不動産に魅せられる。
少しずつ江副の行動は変わっていった。
貧しさ、プライド、悔しさ。
これまでの江副の原動力となっていた経験や感情が、違う形で現れ始めたのだ。
その兆候に周囲は気付いていた。
しかし、本人の耳には入らなかった。
新しいサービスの開発のために周囲の声を大切にしていた姿は、そこにはなかった。
そして、事件は起こる
リクルート事件にて、江副にかけられた容疑は贈収賄だった。
どうやら実際のところを乱暴に言うと、未公開株はあちこちに渡したが、何も見返りを求めなかった、というところのようだ。
元々、自分の好きなものを、周囲の人にプレゼントする性質があったらしい。
裁判の渦中でも、江副は真の江副らしさを失っていなかった。
弁護士の選任の際に出した注文からも分かる。
[box class=”box2″]できるだけ若手の弁護士を入れてくださいということです。こういう大きな裁判は弁護士にとっても、一生でそうあるものではない。いい経験になるはずです。できるだけ多くの若い人がそんな機会に巡り合えばと思います。[/box]
リクルートの社訓として江副自らが考え出した、
『自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ』
の言葉からも分かるように、江副は「機会」をとても重要なものと考えていた。
自らの贈り物癖が招いた事件だというのに、此の期に及んでまだ「機会」という贈り物をしようとしているのだ。
リクルート事件当時、何が起きていたのか、どれだけ多くの人が江副を応援し続けたのか、この本を読んでズシリと来た。
新聞は、事実のごく一部しか報道しない。
晩年、江副と主幹事証券の座を逃した野村證券の当時の担当者が再会する場面は胸に迫る。
もし、あのとき、野村證券に主幹事をお願いしていたら…。
『江副浩正』
全部で493ページあるこの本には、江副浩正の人生が丸ごと写し描かれている。
幼い日々の寂しさから、老いの錯乱までをもだ。
時代の変化とともに歩んだ人間の等身大の描写は、多くの人の心を打つだろう。
もし起業家ならば、時代を読む目が学べるだろう。
また、江副の失敗により、律する部分と突き抜ける部分の切り分けが分かるだろう。
もちろん今の時代に合わないやり方もある。
しかし、「経営とデザイン」を始めとする時代に左右されない不変な部分は、この先の時代を生き抜く知恵になるだろう。
もし人事に関わっていたり管理職であれば、人事制度についてや、社員を活かす方法を読み取ることができるだろう。
人材輩出企業と呼ばれるリクルートの仕組みは今も通用することがあるだろう。
もし起業家でも人事職でなくても、江副浩正の人生は、物語として引き込まれる。
景気が変わるたびに激しい不安に苛まれ、何度も追い詰められ、それでも荒波を乗り越えようとした江副浩正の心理描写に息を飲む瞬間が多くあるだろう。
いろいろな意味で日本という国に大きな足跡を残した、稀代の起業家・江副浩正。
彼の人生を知るなら、この本の右に出るものはない。