差別がなくならない理由は、目指しているものが違うからである
差別がなくならないのはなぜか
人種差別、性差別、部落差別…。
世の中のあちこちに「差別」というものがある。
「差別をなくそう」と多くの人が言うのに、なかなか現状は変わらない。
その理由として、「人に好き嫌いがあるから」や「人は優越感を味わいたい生き物だから」と言われたりするが、それだけではない。
差別をされる側から見ると、差別をする側に不理解があると感じるだろう。
ところが差別をされる側の間にも、不理解が生じている。
それは目指しているゴールが違うためである。
この足並みの揃わなさが、解決を難しくしているのだ。
差別への対応・3つのタイプ
目指しているゴールが違うとはどういうことか、具体的にあげる。
差別について考える際に、下記の3つのタイプがいるのだ。
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1.差別がなくなると困る人
2.「差」を無かったことにしたい人
3.「差」を誇りに思う人
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1の差別がなくなると困る人は、差別に依存して暮らしている人である。
2の「差」を無かったことにしたい人は、差を無くすことで同じスタートラインに立てると思う人である。
3の「差」を誇りに思う人は、差を認めつつも、同じゴールを目指したい人である。
この3つのタイプについて、このままではわかりにくいので、具体的に例を挙げていく。
被差別部落の場合
この3つのタイプに気が付いたきっかけは、被差別部落解放についての文献をいくつか読んだことだった。
被差別部落出身者には、3タイプいることが分かったのだ。
1.差別されているのだから、金を寄越せという人
2.被差別部落があった事実を無かったことにしたい人
3.自分の祖先を隠さずに誇りに思いたい人
差別に依存して暮らす1は論外であるが、2と3の間にも深い溝が存在している。
2の人は自分の出自を徹底して隠したい。
3の人は自分の故郷を誇りに思いたい。
それなので、3の人が自分の故郷について語ろうとすると、2の人が「寝た子を起こすようなことは止めてくれ」と反発する。
その反発はかなり激しく、2と3の間の対立を生んでいる。
私は、恥ずかしながら、被差別部落問題を解決するということは「2」を目指すことだと思っていた。
自分の祖先を誇りに思う気持ちにまで考えが至らなかったのだ。
私だけではなく、世の中全体においてそういう傾向の方が強いのかもしれない。
運転免許証から本籍地の記載が消えたことなどは、2を目指すためのものだ。
性差別の場合
このことは他の差別問題にも当てはまると感じた。
例えば、女性差別でいうと、こうなる。
1.女性なのだから、養ってもらって当然と思う人
2.女性も男性と肩を並べて働きたいと思う人
3.女性も男性も、安全に安心して暮らせる社会にしたい人、それぞれの夢を実現できる社会にしたい人
1は、説明しなくても、思い浮かぶだろう。
2は、男だけに認められていることを、女にも認めてもらうことを望む人だ。
男女雇用機会均等法の制定などは、この考えに基づいたものである。
3は、男と女は違うのだから、それぞれに合う方法が必要なのではないか?と考える人である。
もっと言うと、同じ男でも人それぞれ目指すものが違うのだから、男女関係なく個人個人が快適に暮らせることを目指せばいいのでは?と考えている。
(なお、レディースデーといったものは、男女の行動特性の違いを商売に活かしているだけであり、差別とは違うので、ここでは触れない)
なぜ差別がなくならないか
差別がなくならない理由は何か。
それは、上記の2(差を無くして同じスタートラインに立つ)を目指すのか、3(差を受け入れた上で同じゴールを目指す)を目指すのか、社会全体で方向性が決まっていないからである。
しかも差別をされる側の間でも、2を目指すのか3を目指すのかがまとまっていない上に、差別がなくなると困る1(差別に依存している)の反発もあり、意見が割れている。
「差別をなくそう」と我々は言うが、そもそも差別のない状態がどういう状態なのかの合意が取れていない以上、差別がなくなるわけがないのだ。
具体例
2(差を無くして同じスタートラインに立つ)と3(差を認めた上で同じゴールを目指す)の違いを具体的に説明するとこうなる。
以前、東京大学が女子生徒に3万円の家賃補助を出すと発表した時に、否定的な声が多く上がった。
特に「女性というだけで、家賃補助が受けられるなんてずるい」という声が多かった。
ここで「ずるい」という人は、2(差を無くして同じスタートラインに立つ)の人である。
男と女の違いによって、お金が貰えるかどうかのスタートラインが違うことに違和感があるのだ。
しかし3(差を認めた上で同じゴールを目指す)の人は、そうは思わない。
「安心安全に生活する」という同じゴールを目指すためには、女性に補助が必要なことを理解できる。
実際問題として、女性が安全に暮らすためには、男性よりコストが掛かる。
犯罪者の多くは自分より力の弱そうな者を狙い、女は男より力が弱いという認識が一般的なため、狙われやすい。
女は力が弱い(と世間的に思われている)分を、自衛する必要があるのだ。
女性差別問題に否定的な違和感を持つ男性は、こういう心理状況である。
・過去、もしくは現在、1(差別に依存している)の存在にうんざりした経験がある
・同じスタートラインに立っても同じ結果が出ないことに、懐疑的になっている
・同じゴールを目指すことは男性も様々な生き方が認められることであり、それが受け入れられない
男性から見ると、「女性差別問題」とまとめて考えると、「女だから奢ってもらって当たり前なんて言うくせに、権利だけは主張しやがって、そのくせ男ほど体力もないし結果が出せないじゃないか」となる。
そして男の中には、「女は専業主婦になりたいと言って甘えてる」と言いながら、「男の専業主夫もありだ」という意見に対して「そんな男は、男の風上にも置けない」と言う人もいる。
つまりこれも、差別のない状態がどういう状態か定まっていないために、全てがごちゃ混ぜになって起きる混乱なのだ。
差別をなくすための第一歩
現在は「差別をなくす」というと2(差を無くして同じスタートラインに立つ)をイメージする人が多い印象がある。
最近まで私も2の考え方しか知らなかった。
しかし、個人個人が尊ばれるこの時代、3(差を認めた上で同じゴールに到達すること)を目指す流れが強まってきていると感じる。
まずは自分の考え方の癖が1なのか2なのか3なのかを理解した方がいい。
1の人は、自分が手にしているのは当然の権利ではなく、依存であると自覚しておいた方がいい。
2の人は、今後主流になるであろう3の考え方も知っておいた方がいい。
そして3の人は、自分の思いが理解されないと感じても諦めず、自分がどんなゴールを目指しているのかを明確に説明できるまで考え抜くといい。
「差別だ!」と声をあげる前に、自分と相手がそれぞれどの立場に立っているかを理解し、どの方向を目指すかを決めないと、いつまでも前に進まないのだ。
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