着ている服も含めて全て私物は持ち込みNGという不思議な店の話


あの店

もう10年以上前の話になるが、あれは、とても不思議な店だった。
雑居ビルの中にひっそりとあり、店名を示すものは看板も何も出ていなかった。
当時は飲食店だと思っていたが、今思い返すとその認識すら間違っているような気がする。
正規営業の店だったのかすら疑いたくなるほどの怪しさがあったのだ。

特徴

その店に入るには、会員の紹介が必要だった。
初めての客は会員と一緒に行かなければいけない。
そして、そこでの振る舞いに問題がなければ、次からは一人でも入店できる。

店は一律料金で前金制。
お金を払ったら、荷物一式をロッカーに預ける。
私物は何も持ち込んではいけない。
携帯電話(当時スマホはまだ一般的ではなかった)ですら持ち込み禁止。

そして、店側が用意した衣装に着替える。
衣装といえどもデザインは様々で、奇抜なものもあれば制服もあればシンプルなものもあり、自分で選べる。
自分の洋服もロッカーにしまう。
私物は本当に一切何も持ち込めない仕組みになっている。

店内はカーペットが敷かれ、10数人が囲めるほどの大きい楕円形のちゃぶ台がどんと1卓置かれている。
客は皆、自然とそのちゃぶ台に集う。

飲食店であるが、何が食べられるかは行ってみないと分からない。
店主が作りたいものを作り、客は食べたければ食べる。
「おでんできたよー!」「肉じゃが食べる?」といった声が掛かるたびに、食べたい人が手を上げてよそってもらう仕組みだ。

店主に作る気がないときは、乾き物しかでない。
それでも料金は一律なのだが、誰も文句は言わない。
常連客は分かっていて、念のために食べ物を持ち込む。
客は皆でそれを分けあって食べる。

お酒は、あらゆる種類のものが置いてあって、ビールでも日本酒でもワインでもどんなカクテルでも飲むことができる。

ルール

店内の振る舞いについて、ルールがいくつかある。
その中でも重要なのはこの3つだ。
・相手が嫌がることをしないこと
・自分が嫌なことははっきり言うこと
・相手を否定しないこと

「嫌なことははっきり言うこと」と「相手を否定しないこと」は一見正反対のことを言っているようだが、それぞれ大切なことだ。

例えば、女性の身体に触ろうとする男性がいるとする。
そういうことをされるのが嫌なら、はっきりと「そういうのは苦手です」と言う。
しかし、「エロオヤジ、最低!」のように、相手自身を否定することを言ってはいけない。
あくまでも拒否できるのは身体に触ろうとする行為のみであって、相手の存在を拒否する言動をしてはいけないのだ。
そして、苦手だと言われた人は、その人にそれ以上触ろうとしてはいけない。
もし、拒否を表明している人にしつこく絡むようであれば、店を追い出され、二度と入店できなくなる。

過ごし方

あまりにも不思議なシステムに最初は面食らったが、居心地は抜群に良かった。

皆、服を着替えさせられるので、服装からその人のことを想像することができない。
この威力は絶大だ。
普段どれだけ無意識のうちに服装からその人の職業等を予想し、その予想に基づいて接し方を変えているのかに気づく。
また、自分自身も役割から解放される。
例えば私の場合、平日は「会社の金庫を預かるものとして信頼感がありそうな格好」を心がけていて、相手も私のことをサラリーマンとして扱う。
しかし、スーツを脱いで例えばミニスカートにでもなると、金庫番の役割から解放されて、自分らしくその場に居られるのだ。

会話をするときも、答えたくない質問にはNoと気持ちよく言ってくれるので、「こんな質問したら怒られるかな」と気を回す必要がない。
自分自身のことを否定されないので、自分のコンプレックスなどもつい話してしまう。
オタクめいた趣味のことも、熱く語れてしまう。

いろいろな人が自分自身のことを話してくれた。
こんな話は家族にもしたことがないと言いつつ、驚くような話を教えてくれた。
私の視野の外にも私の知らない世界が深く広がっていることを、この店の会話から多く学んだ。

今、できること

今ではもうこの店はない。
終わりはあっけなかった。
店主夫妻が逮捕されてしまったのだ…。
噂によるとすぐに釈放されたらしいが、その日から2度と店が開くことはなかった。

終わり方は衝撃だったが、あの居心地の良さは今でも懐かしい。
安心して自分らしくいられる貴重な場所だった。
人は、攻撃も否定もされなければ、安心して自分らしくいられるのだ。

普段、どれだけ自分を頑なにして、自分の平和を守っているのだろう。
自分の要求を叶えるために、どれだけ相手を攻撃しているのだろう。
攻撃も否定もされなければ安心して自分らしくいられるということは、攻撃も否定もしなければ安心して自分らしくいられるということでもある。

あの店は無くなってしまったが、ああいう安心感のある場を作ることはできないだろうか。
攻撃も否定も必要のない世界に暮らすためには、まず自分から。
そう思うと、地雷が埋まる砂漠の真ん中に丸腰で立っているような不安な気持ちになるけれど、武器も鎧も手放すことでまたあの場に行けるなら、挑戦する価値はある。

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