「助けて」と言う練習


助けてという練習

あれは確か幼稚園の頃だった。
腹話術の人形のことを、人形が喋っていると信じていた頃だ。

「知らない人に付いて行ってはいけません」
そういったことを教わったのだと思う。
そして前に立った女の人はこう言った。

普段から「助けて」と言う練習をしておかないと、いざというときに「助けて」と言えません。
今ここで、みんなで大きな声で「助けて」と言いましょう。
せーのっ!

たすけてーーー!

他の子供たちの叫び声を聞きながら、私は立ちすくんでいた。
どうしても声が出せなかったのだ。
「助けて」の一言がどうしても言えなかった。
小さな声でも言えなかった。
「たすけてーーー!たすけてーーー!」と繰り返し叫ぶ子供たちの声を呆然と聞いていた。

あの日の望み

あの日の教えは本当に正しいと思う。
人間は、いざというとき、声を失う。
「助けて」だろうと「やめてください」だろうと「ギャー!」という叫び声だろうと、どんな声であれ出すのは難しい。
切羽詰まっていればいるほど、声を出すのを躊躇うようになる。
普段、日常で使い慣れていない言葉を、いざという局面で使うのは無理なのだ。
 

私が、どんなときにも「助けて」と言えなかった訳ではない。
「体調が悪いので病院に連れて行ってください」といったことは言えていた。
自分が何を望むのか明確であれば、(勇気が必要だったとしても)言うことはできていた。
でも、自分が何を望んでいるのか分からない時は、立ちすくんでしまう。
「助けて」という一言が、どうしても言えなくなってしまう。
 

けれども、「助けて」と思うということは、何かを望んでいるということだ。
あの日の私はいったい何を望んでいたのだろう。

シンプルで単純なこと

ぼんやりと外を見ながら考えていたら、ふと言葉が降りてきた。

「ただ、そばにいて欲しい」
 

ああ、そういうことか。
それだけのことか。
こんなシンプルで単純なことだったんだ。
たったこれだけのことに気がつくのに、40年も掛かってしまった。

でも、シンプルで単純なことこそ、気がつくのが難しいのかもしれない。
複雑なことは頭で考えられるけれど、シンプルで単純なことは心に聞かないと分からないから。
そして、シンプルで単純なことこそ、より本質に近いから。

40年も気づかなかった情けなさを嘆くより、やっと気づいた今日を喜ぼう。
 

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