情熱を邪魔する人と、情熱に突き進む人、どちらになりたいですか?


岡本太郎の言葉

友人に教えてもらった岡本太郎の言葉がある。

好きな女性が、他の男と結婚しようが、こちらが他の女性と結婚しようがそれはそれだ。
ほんとうの出会いは、約束ごとじゃない。恋愛というものさえ超えたものなんだ。

岡本太郎自身は結婚制度を否定して生涯独身だったなと思いつつ、また違うことを思い出した。
人から聞いた話なので本当かどうかはわからないが、かつてフランスでは、「恋」とは「禁断の恋」のみを指していたらしい。
その理由は、「恋」とは理性を持って抑えきれない感情を指す言葉であるから。
何の障害もない状態で生まれる恋心には理性の葛藤がないため、「恋」ではないと言われていたらしい。
(繰り返すが、本当かどうかの確認はしていない)

この定義でいうと、ロミオとジュリエットは「恋」だ。
結婚は「恋」ではないが、不倫は「恋」となるのだそうだ。

理性で抑えられない情熱

理性で抑えられないのは恋愛感情だけではない。
他にやることがあるのに、止められない。
気がついたら、時間があっという間に過ぎていた。

そういう状態は、2種類に分けられる。

■心の底からの情熱
趣味かもしれない、仕事かもしれない。
やっていてワクワクする。いつの間にか時間が過ぎたつ。

■逃避
一方で、ぼんやりと手を動かしているうちに、いつの間にか時間が過ぎている場合もある。

見分け方

自分がついついやっていることが、心の底からの情熱なのか、逃避なのかは、行動の内容だけではわからない。
同じ「ゲームをする」という行動を見ても、ある人にとっては情熱で、ある人にとっては逃避となる。
自分でも情熱なのか逃避なのか分からないときは、それをやり終えた時の状態に注目してみるといい。

それをやることで、自分に力が湧いてきただろうか。
体は疲れているけれど、気持ちが心の底からスッキリしている時、それは情熱だ。
でも、もし、心の中にどこか罪悪感や虚しさがあるなら、それは逃避だ。

逃避は、本来持っているはずの情熱から自らの目を逸らす行為だ。
逃避から生まれる罪悪感にはプラスの効果は全くない。

やめられないなら、罪悪感を持たないほど突っ走って逃げてみればいい。
それすらできないなら、とっとと止めるに限る。

情熱を表に出すには

理性では抑えられない情熱は、思い切って表に出したほうがいい。
若い頃やりたかったことで、今も忘れられないことはないだろうか?
情熱は抑えつけても忘れられないし消えないのだ。
一生くよくよ思うくらいなら、さっさと行動に移したほうがいい。

情熱を邪魔する人たち

しかし、いざ行動しようという時、情熱を邪魔する人がいる。
情熱を邪魔する人を見てみよう。

他人

家族であれ、知らない人であれ、情熱を邪魔する人はいる。
「そんなの無理だよ」
「その歳になって、まだそんなこと言ってるの?」

WEB上でも、情熱のまま行動している見知らぬ人を叩く人がいる。
「それ見たことか」
「身の程を知れ」

この人たちは、人が失敗するのを楽しみに待っている。
「それ見たことか」「言わんこっちゃない」
そう言って、人を嘲笑いたい人なのだ。

自分

周囲の人が邪魔をするから、情熱を発揮できない?
いや、周囲の人に何を言われたとしても、情熱を邪魔しているのは、自分なのだ。

痛い目にあいたくない。
失敗して笑われたくない。
今よりも生活レベルが落ちるのが怖い。

こうやって頭でクヨクヨ考えて、自分の情熱を抑え込もうとする。

もちろん抑え込まれた情熱は、沈静化することはない。
情熱を抑えつけるためにやること。
それが、失敗した他人を笑うことだ。

「それ見たことか」
「身の程知らずが無謀なことをやるから」

こう言って人を嘲笑うことで、自分は挑戦しなくてよかったと安心するのだ。
情熱を持つなんてロクなことにならないと自分に言い聞かせるのだ。

そう、自分の周囲にいる情熱を邪魔する人たちの正体は、自分自身そのものである。

情熱に突き進む人

一方で、自分の情熱のほとばしるままに突き進む人もいる。
周囲の人の目を気にせず、心のままに進む人がいる。

もしこの人が失敗したらどうなるだろうか?
失敗することで失うものがあるかもしれない。
しかし、その人は自ら動くことでしか得られない経験を得ている。
この貴重な経験は、次に新たな挑戦をする際の貴重な財産となる。

そして仲間が得られる。
自らの情熱で挑戦した経験のある人は、同じく自らの情熱で挑戦する人が好きだ。
例え失敗した人を見ても笑ったりはしない。
自分が情熱をかけて挑戦した経験がある人には、他人を嘲笑う必要がないからだ。
そして、そこには、実際に挑戦した者同士でしか分かち合えない絆が生まれる。

一度挑戦すると、再挑戦に向かう力を得ることができる。
最初は難しく思えたことも、次に同じことをするときは勝手がわかるため、ハードルが下がる。
一度情熱のままに挑戦した人は、次の挑戦は前回ほど気負わず自然体にできるだろう。

情熱を邪魔する人が他人を嘲笑っている間、情熱に突き進む人は経験と仲間と再挑戦する力を得るのだ。

どちらの人になる?

自分の情熱を押し殺し、他人の挑戦を嘲笑うだけで、何もしない人になるか。
自分の情熱を抑えずに行動し、他人の挑戦を温かく応援でき、何かを生み出す人になるか。
誰もが、どちらの人にもなることができる。

その分かれ目に、周囲の声はまったく関係ない。
自分の中の情熱に耳を傾け、それに身を委ねるか否か、ただそれだけだ。

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