西表島で考えた。旅に求めるものは現実なのかテーマパークなのか?
5日間ほど、西表島に滞在していた。
東京にいるときは、日焼けは嫌いだし、海風で身体がベトベトするのは嫌いだし、靴に砂が入るのも嫌いだ。
蚊のような刺す虫は不快に感じる。
ただ、島に着いて海岸に立った瞬間にそんなことは忘れて、炎天下にも関わらず海に入って砂まみれになり、潮風でボサボサの頭をそのままにはしゃぎまくった。
宿泊した古い建物は蚊もヤモリも蜘蛛も出たが、蚊はともかくヤモリは写真を撮ったり観察したりした。
東京ではあんなに嫌だったことが、島にいると、全て楽しい。
そして東京に戻った今、海の匂いがする持ち物を片っ端から洗濯機に突っ込み、虫刺されの跡を数えて苦笑いをし、日焼けの痛みに苦しみつつ、この文章を書いている。
この気持ちの移り変わりの早さときちんと向き合いたいと考えさせられる出来事があったのだ。
西表島であって、西表島ではない?
西表島を満喫した最後の朝。
帰りのフェリーに乗るために、島内の各集落を回りながら港まで行くバスに乗った。
バスは、星野リゾートが経営している西表島ホテルにも立ち寄った。
その敷地内に立ち入った瞬間に、違和感満載の景色が目の前に広がった。
「これは西表島の景色ではない…」と思った。
そこにはたくさんの亜熱帯の植物が植えられていた。
西表島で見かける植物たちだ。
しかし、過剰で不自然なのだ。
植物の生え方が、西表島の他の場所とはどうにも違う。
「これは与論島だ」と私は思った。
私は与論島に一度も行ったことがないのに、そう思った。
そのとき気がついた。
この風景は、西表島に行ったことがない人が夢想する西表島の景色ではないだろうか。
空想の景色を20%増しくらいにして演出しているように見える。
これは実際の西表島の景色ではない。
しかし、このホテルを訪れた人は「すごい!」と感激するだろう。
自分の予想の延長線上の景色が、120%の濃度で広がっているのだ。
「期待を上回る景色だ!」と来た人は思うだろう。
実際に星野リゾートが何を思って虚像を作り上げたのかは知らないが、こういうビジネスパターンもあると気付かされた。
イメージを追うために旅をする人
人が旅行をする理由は様々だ。
実物を見るためではなく、イメージの追体験をするために旅行をする人もいる。
情報がたくさんある今のこの時代、完全に未知のものはほとんど無い。
旅行を例にとっても、世界各国のガイドブックが売られ、SNS上には誰かの体験記や写真が溢れている。
似たような美しい景色が、共に写っている人だけを変えてズラリと並ぶ。
それを見た人はイメージを描く。
そのイメージを確かめるために、旅行に行く人がいる。
自分が写っているイメージ通りの写真をSNSに上げたくて、旅に出る人もいるだろう。
イメージは良くも悪くも裏切られる。
「世界三大がっかり」という言葉は、まさに現実を見る前にイメージを作り上げる人が多いことを示している。
イメージを体験するために旅に出る人は、イメージが外れるとがっかりするだろう。
観光事業者にとっては、せっかく来てくれたお客様ががっかりすることは辛い。
客の要望に応えるために何をするのか
イメージを抱いてやってきた観光客が現実との違いにがっかりするのは、招く方も辛い。
目指すイメージが建物ならそこまで現実と変わらないが、天気や動植物など自然については運任せのところがあって事業者にはどうにもできない。
期待と現実のギャップを生じさせないために、一般的に行われるのは期待値調整だ。
「※この写真はイメージです」と写真の片隅に注意書きをしたり、「今年は気温が低いから、花が咲いていないかもしれません」と説明したりして、イメージとは違う可能性に対して心の準備をしてもらう。
これに対して、あらかじめイメージ通りのものを作り上げて、ギャップを生じないようにするというアプローチもあることに気付かされた。
客が欲しているのは実像ではなく自らのイメージの追体験なのだから、実像は無視してイメージに沿うものを提供することが顧客の求めに応えることになるのだ。
マーケティングの世界では「顧客の潜在ニーズを探って応えろ」と言われるが、まさにこれを体現している。
客自身は、自分がイメージの追体験を求めていることに気づいていないだろう。
純粋に「西表島に行きたい!」と思っているはずだ。
でも顧客が本当に求めているものは、西表島そのものではないとしたら。
求めているのは、南国の景色。
でもアダンの棘には刺されたくない。
求めているのは、亜熱帯の蒸し暑い空気。
でも寝るときはクーラーが効いた快適な部屋で眠りたい。
求めているのは、雄大な川の流れ。
でもカヤックは暑いし疲れるから、モーターボートで行き来をしたい。
停電は嫌だ。
トカゲや蜘蛛は見るのも嫌だ。
蚊に刺されるのも嫌だ。
このように自覚のないまま西表島に当然にあるものを全て否定しつつ「西表島に行きたい!」と考える人をターゲットにして商売をしようとするならば、西表島風のテーマパークを作るしかないのだろう。
そのテーマパークは限りなく西表島に似ているが、決定的に何かが損なわれているように感じさせる景色とともに存在する。
旅に求めるものは、現実なのかテーマパークなのか
私は旅が好きだ。
好き、というより、必要としている。
これまでに仙台→青森→福岡→大阪→関東各地とあちこちと引越しを重ねてきた。
同じ日本でも常識や生きるために必要な知恵が違うことを体感した。
(例えば、東京で可愛いと言われる白いコートは、雪国で着ると地面と同化して車に轢かれそうになる)
今はもう東京に10年以上住んでいる。
長く東京にいると、東京の常識が日本の常識と勘違いしそうになる。
大手のマスメディアは東京の常識をベースに情報を発信するから、うっかりすると染まってしまう。
それが恐い。
だから、東京の常識が全く通じないところに定期的に行って、自分の常識をリセットするようにしている。
東京の常識で作り上げられてしまいそうになる自分を定期的に壊す意識だ。
そう、旅をして壊されるのは自分だった。
私は、私を壊したくて、旅に出る。
しかし、もし東京の常識を維持したまま、東京の常識が通じない町で過ごすことを望むのならば、壊されるのは現実の方だ。
現実から東京の感覚では不快なものが排除されると、もうそれは現実の町ではない。
このことには気づいていなかった。
西表島に、西表島風のテーマパークが必要なのかどうか、私には判断ができない。
ただ旅先で自分が経験したものが現実なのかテーマパークだったのかを見極める目を持ちたいと、心から思った。
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