私は私の人生を生きてるか?「本ばかり読んで夢の世界にいないで、現実を生きなさい」
名古屋に着いた。
個別セッションの場所に向かう途中、窓から下を見降ろすと、懐かしいモニュメントが見えた。
過去の記憶が蘇ってきた。
あの日、部長は私に言った。
「しずかくん、本ばかり読んで夢の世界にいないで、現実を生きなさい」
当時の私には、この言葉の意味は分からなかったが、今は分かる。
現実を生きなさい
私が名古屋で仕事をしていたのは、新卒2年目のときで、もう20年も前のことだ。
車に刺身トレーを乗せて、魚市場や包装資材問屋を回る営業の仕事をしていた。
住んでいたのは大阪だったが、名古屋は私の担当エリアだった。
当時いた会社は、役職者は全員同じ名字で、要するに全員が社長の親族だった。
社長の親族でなければ、管理職にすらなれない。
一応、年配の社員の名刺には「課長」「部長」といった肩書きが刷られていたが、社長の親族でない限り、やっている仕事は新卒2年目の私と同じ内容だった。
40代であろうと、50代であろうと、車に刺身トレーを乗せて、魚市場と包装資材問屋を回っていた。
本を読むのは悪いこと?
ある日、そんな肩書きだけの部長が私に聞いた。
「休みの日は何をしているの?」
当時の私は、毎週月曜日から土曜日まで出張に出ていた。
月曜の朝に大阪を出発し、ある週は淡路島を含む兵庫全域、ある週は天橋立を含む京都全域、ある週は和歌山をぐるりと一周といった具合に、車であちこちの客先を周り、土曜の夜に大阪に帰って来る。
日曜日は、一週間分の洗濯をし、疲れた体を休めると、あっという間に終わる。
また次の月曜からは出張だ。
もともと大阪は縁もゆかりもない土地なうえに、こんな生活をしていたら友人なんてできやしない。
「休みの日は、本を読んでます」と私は答えた。
そうしたら、部長は言ったのだ。
「本ばかり読んで夢の世界にいないで、現実を生きなさい」
それを聞いた私は、ムッと怒りがこみ上げた。
本を読むのはいいことなのではないか?
夢くらい自由に見たっていいじゃない!?
この生活でいいの?
数ヶ月の後、その部長は会社を辞めた。
部長が持っていた営業エリア(東海三県と北陸三県)も私の担当エリアになった。
私はますます出張三昧だった。
月曜に出発し、土曜に帰る。
日曜は洗濯をし、本を読む。
小説を読んでいる間は、何も考えずに済んだ。
自分にはできないことを、小説の主人公は代わりにやってくれる。
日頃の憂さを晴らすことができる。
でもある日、客先で聞いた話が、私に現実を突きつけた。
美しい提案書
そのお客さんのところに、同業他社の営業がパソコンで作られた美しい提案書を持ってきたそうだ。
見せてもらった提案書のそのページには、「売り場の広さが〇〇cm×〇〇cmなので、この刺身トレーは○列×○段並べることができます」とイラスト入りで載っていた。
お客さんは、どういう売り場の雰囲気になるかをビジュアル付きで提案してくれるからイメージがとても湧くと、興奮交じりに話してくれた。
私も提案書を見て驚いたし、ライバル社の資料ながら興奮した。
そもそも私は提案書なんて作ったことすらなかったのだ。
私も真似しようと絵を描いてみた。
私のいた会社はパソコン使用禁止だったので、手描きしてみた。
人様に見せられるようなものはできなかった。
そんな人生はイヤだ!
周囲の先輩たちを見た。
営業の肝は人間関係の構築だからと、50歳代の先輩だろうと客先の言いなりになっている。
自社製品とは無関係の重い荷物を運ばされたり(意外に思われるかもしれないが、ダンボール入りの刺身トレーは材質によってはかなり重い)、客先の新店開店の際は日曜日でも手伝いに行ったり(もちろん無給だし、代休もない)、めちゃくちゃな納期を要求されたり。
それまでは私もこれが営業の仕事だと思っていたので、一生懸命客のいうことを聞いていた。
しかし、他社の営業スタイルを見て、本当にこれでいいのだろうかと思うようになった。
とても悩んだ。
他社の営業がどんどん洗練されていく中、この会社はいつまで義理と人情100%の営業スタイルを続けるのだろうか?
私は30年後も、重い刺身トレーの箱を運んで、休みを潰して客先を手伝うのだろうか?
それはやだ!そんな人生は送りたくない!
私は、その会社を辞めた。
私の人生を生きる
名古屋駅前のモニュメントを見た時に、当時のことが思い出されたのだ。
そのモニュメントは、名古屋で一番大きな客先に行く時に目に入るものだった。
正確にいうと、客先に行くための道を曲がり損ねた時に、そのモニュメントを一周回って、方向転換していたのだ。(カーナビのない時代の話である)
早く行かなきゃという焦りの気持ちと道を間違ったという情けなさが入り交ざった思いで見上げるモニュメントだった。
あれから20年
部長の言葉が思い出された。
「本ばかり読んで夢の世界にいないで、現実を生きなさい」
平日は客に翻弄され、日曜は小説の世界に逃避する。
あの生活には「私の人生」は存在していなかった。
部長はそのことを言いたかったのだと思う。
自分の頭で考えることなく、ただ流されるだけの日々。
そのことに警告をくれていたのだと思う。
2018年。
あれから20年経ち、名古屋駅前は大きく変わった。
当時は無かった建物からモニュメントを見下ろした。
「そんな人生は送りたくない!」と叫んだ、あの人生からは逃れられている。
一方的に客のいいなりになってもいない。
自分自身の価値を考えることもできるようになっている。
よかった。
あの頃には全く無かった「私の人生」を、今は歩むことができている。
モニュメントへの誓い
私は、私の人生を生きている。
これからも、私の人生を生きる。
名古屋駅のモニュメントを見ながら、思い、誓った。
聞いた話によると、このモニュメントは2019年度中に撤去される予定らしい。