離れずに暖めて。去りゆく月日に抗えることはできないからこそ
『離れずに暖めて』
私がSING LIKE TALKINGのこの歌に出会ったのは大学一年の春。
サークルの先輩がカラオケで歌ったのを聞いて、その場で惚れこみ、すぐにCDを買いに行った。
もう20年以上もこの歌を聴き続けていて、何度聞いても胸に刺さる。
それなのに、何度聞いても歌詞の意味が分からない。
この歌の主人公が女性なのか男性なのかさえ分からない。
離れずに暖めて
歌詞だけではない。
タイトルでさえ、分からなくなる。
歌詞を読むと、私があなたを暖めるという決意の歌のようにも感じるのだが、同時にこうも気づく。
人が人を一方通行で暖めることはできない。
誰かが誰かを暖めるとき、熱を受け取った人が暖まると暖められた熱が暖めた人に再度移る。
人が人を暖めたいなら、暖め合うことしかできない。
もし私が誰かのためになれると思ってもそれは思い上がりで、私もその相手から何かを受け取っている。
そして、誰かが私を暖めてくれたとき、一方的に受け取ってしまったと恐縮してしまうが、きっと私も何かを返しているのだろう。
重ねた総てを
初めてこの歌を聴いたとき、重ねた総てを使い果たしてもいいと微笑む潔さに惹かれた。
私は故郷の仙台の大学には行くつもりはなかった。
仙台を離れ、自分を知る人が一人もいない土地で一から新しく生活を始めたいと願ったのだ。
重ねてきた総てを捨て去りたかった。
今は違う。
あのとき捨てされなかった日々も、その後積み重ねてきた様々な思いも、全てが愛しいものとして私の中に刻まれている。
全てを捨て去りたかった、18歳の春。
全てを使い果たしたとしても、自分の中に刻みこまれたものは消えないことを知っている、四半世紀経った今。
そして、まだ見ぬこの先。
去りゆく月日に逆らうことはできず、来たる月日を食い止めることもできない。
この流れの中で、どれだけのものを重ねていけるのか。
そして自分に刻みつけることができるのか。
自分がこの先どう生きていきたいのかを今一度思い返している。