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特急ひたちの思い出 〜1993年の受験生


1993年2月

1993年2月。私は仙台駅で、上野行きの特急ひたちを待っていた。
翌日に控えた大学入試のために、第一志望の大学がある町に行くためだった。

自由席

私は指定席券を持っていなかった。
指定席と自由席の差額の300円を節約するために、自由席を選んだ。

私の父親は典型的な九州男児で、女子に教育は必要がないという考えだった。
もちろん一人娘を大学に行かせる気など、さらさら無かった。

しかし、母親は違う意見を持っていた。
私の母親も典型的な九州男児の家庭で育ち、中卒で働くように言われたところを、就職に役に立つからと頼み込んでようやく商業高校に行けたという過去がある。
本当は普通高校に行きたかった母親は、娘に同じ思いをさせたくないと願った。
長らく専業主婦だった母親は、父親の意思が固いと見るや否や、娘の大学の学費と受験費用を稼ぐためにパートに出るようになった。

そういう理由で少しでも節約しようと、私はあと300円出せば買える指定席券を買わずに、自由席の列に並んでいた。
仙台が始発なので、座れるだろうと考えていたのもある。

しかし、2月下旬の特急ひたちは意外と乗る人が多く、発車時刻の10分ほど前に駅に着いた私は座れなさそうだった。

おばちゃん

特急ひたちが入線した。
(空いてる席あるかな…)と思いながら車両に足を踏み入れると、突然私の腕を掴む人がいた。

「あなた、ここ座りなさい!」
私の腕を掴んでいる人は、見知らぬおばちゃんだった。
一人で2つの座席を独占していて、そのうち1つを私にくれると言うのだ。

「さっきからずっと参考書読んで…、受験生でしょう?ここ座って勉強しなさい」
どうやら列に並びながら最後の悪あがきで参考書を読んでいるのを見かけて、私のために席を取ってくれていたようなのだ。

とてもありがたく、席に座らせてもらうことにした。

お婆ちゃん

電車は走り出した。
宮城を抜け福島に入る。

相馬駅で一人のお婆ちゃんが乗って来た。
おぼつかない足取りで電車に乗り込み、通路にも人が立っているほどの混雑している車内を見て残念そうな顔をしていた。

私の心は揺らいだ。

お婆ちゃんは気になる。
でも、本音を言えば、このまま座って勉強をしたい。
とはいえ、既に気になっている時点で集中力は失われ、英単語が全く頭に入らない。

試験の前日にいいことをすれば、試験でも神様が味方してくれるかもしれないなんてズルいことも考えつつ、お婆ちゃんに席を譲ることにした。

最初に私の腕を掴んだおばちゃんは、そんな私を見て言った。
「荷物は預かっておいてあげるから、ここに置いておきなさい」

その言葉に甘えて、私は参考書だけを持って立ち上がった。

再びおばちゃん

電車は進む。

原ノ町、浪江、富岡。
駅に止まるたびに、人の乗り降りがあり、私は奥の方に押し込まれて行った。

電車が平駅に近づくアナウンスが流れた時、私を呼ぶ声が聞こえた。
声の主は私の腕を掴んだおばちゃんだった。

「私、次で降りっから!これあなたの荷物、ここにあるから、ここあなたの席!」
私が席を譲ったお婆ちゃんも、こちらを振り返り手招きをする。

おばちゃんの席の隣の通路には、おばちゃんが降りた後に席に座ろうと目論んだ人が立っていたが、こちらを見て残念そうな顔をして隣の車両に去って行った。

ありがたくまた座らせてもらうことができた。

再びお婆ちゃん

電車は進む。
私が席を譲ったお婆ちゃんが降りる駅に来た。

お婆ちゃんは言った。
「あなたみたいに優しい子は受かるわよ。大丈夫!」
そして、私の手に、みかんが3つ入ったビニール袋を握らせた。

私はとても嬉しかった。

実は、センター試験の成績が予想を下回り、第一志望の大学は厳しいと言われていたのだ。
担任の先生に志望大学を変えろと強く言われていたのだが、私は突っぱねた。

本当は、厳しいことは、私が一番わかっていた。
でも意地を張ったのには理由がある。

中学3年生の時だ。
私は行きたい高校があったのだが、諸事情あって妥協し、確実に受かる高校を選んだ。
高校生活は楽しかった。
友人にも教職員にも恵まれて、とてもいい3年間だった。

それでも3年間、挑戦しなかったことへの後悔がくすぶり続けた。
挑戦せずに逃げるより、挑戦して失敗した方がどれだけ自分に誇りを持てただろうか!

なので、大学受験は、とことんまで挑戦したかった。
受かる確率が低かったとしても、最後まで自分の力を注ぎ込みたかったのだ。

そんな私に「受かるわよ」という声を掛けてくれるなんて!
何も事情を知らないから言えるセリフだとわかっていても、「受かるわよ」の言葉の嬉しさといったら!!

お婆ちゃんが降りた後、みかんを食べることにした。
みかんを取り出すと、金属片が顔を覗かせた。
取り出して見ると、500円玉だった。

300円の指定席券をケチる私にとって、500円は大金だ。
それ以上に、見知らぬ私を応援しようとしてくれる気持ちが伝わって来て、少し泣いた。

私にとって、特急ひたちは、こういう温かい電車なのだ。
見知らぬ受験生が力を出し切れるように、おせっかいなほどに手を貸してくれる、そんな優しい人たちが乗る電車なのだ。

2020年3月

2011年3月11日のあの地震で分断された特急ひたちが、9年後の2020年3月14日、ついにまた繋がった。

沿線の風景はあの頃と随分変わってしまったけれど、特急ひたちは、私にとって、今も特別な電車だ。
私の心を温めて、挑戦する力を思い出させてくれることは、昔も今も変わらない。

え?受験の結果?

席をゆずるくらいでは、試験の神様は味方をしてくれないことを知ることができたのが、収穫だったと言えよう。
最終的には第2希望ですらなかった大学へ入学したけれど、やりきるだけやりきったから、少しも後悔はしていない。
 

※トップの画像は、2020年3月に撮影したものです

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