オンラインのストレングスファインダーの個別セッション、始めました

全線再開した特急ひたちの車窓に見えたもの

特急ひたち


2020年3月14日、常磐線が全線再開した。
常磐線は仙台と上野を結ぶ路線で、同じく東北と関東を繋ぐ東北本線よりも海側を走る。

2011年の東日本大震災で、常磐線は壊滅的な被害を受けた。
一部の駅舎は津波で流され、一部の区間は原発事故の影響で立入禁止区域となった。

そんな困難をじわじわと乗り越え、9年ぶりに全線再開となったのである。

仙台出身の私にとって、常磐線とそこを走る特急ひたちは思い出深い列車である。
全線再開と聞いて、乗りに行かずにはいられなかった。

特急ひたちの思い出 〜1993年の受験生

特急ひたち

全線再開した特急ひたちは、シンプルに「特急ひたち」だった。

鉄道に詳しい人なら、以前は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」が走っていたことを覚えているだろう。
年齢を重ねた鉄道好きなら、特急ひたちには「さわやか」や「おはようフレッシュ」や「ウィークエンドフレッシュ」などのたくさんの種類があったことを知っているだろう。

しかし、数々の問題をクリアし再生した特急ひたちは、シンプルな「特急ひたち」だった。

2020年3月19日

私は3月19日の特急ひたちのきっぷを手に入れた。
運休帰還中に上野東京ラインの開設したことにより、上野始発ではないひたちが生まれたのが残念だが、それはしょうがない。

上野駅で待つ私の目の前に、列車が滑り込んできた。

特急ひたち

特急ひたち13号

再開区間

常磐線は震災当日は全線不通だったが、翌日から少しずつ復旧が進み、再開区域を伸ばした。
関東側と東北側、それぞれ復旧が進み、最後まで残ったのが福島県内の富岡-浪江間だった。
ここは原発事故による放射能汚染の影響で立入禁止区間となったため、被害調査すら何年もの間できなかったのだ。

実は、2020年3月時点の富岡-浪江間は、まだ避難指示が解除されておらず、許可なく自由に立ち入ることもできない。
常磐線の運転再開に合わせ、各駅とその周辺のみ立ち入りが許されているだけだ。

私が乗った列車は、再開区間に差し掛かった。

富岡

富岡駅は、津波で駅舎が流され、場所を移動して新たに作られた駅である。
富岡駅は2017年に復旧し、関東から来る常磐線の終点になっていた。

写真からもわかるように、富岡駅から海の方向を見ても、何もない。
田舎の人が自虐で言う「何もない」ではなく、文字通り、何もない。
広い土地が広がっているだけだ。

このあたりが津波で流されたエリアだということを、否応もなく感じさせる。

常磐線富岡駅

富岡駅

常磐線 富岡駅

富岡駅から海の方向を臨む

帰宅困難区域

ひたち13号は富岡駅を発車し、帰還困難区域に向かい、進んでいく。

富岡駅周辺はしばらく前から避難指示が解除されているが、人影は見当たらない。

明らかに何年も人の手が入っていない茫漠とした風景が流れていく。


 

途中、ビニールハウスを見た。
よく見ると、ビニールハウスの中は雑草が生い茂り、ハウスの天井まで伸び切って、枯れていた。

かつて田んぼだったであろう土地も、荒れ果てている。

 

電車は、福島第一原子力発電所の最寄り駅である大野駅を過ぎ、双葉駅に差し掛かる。

双葉駅
 

双葉駅にはコミュニティセンターが隣接している。
荒れ果てた色のない風景の中、色彩を感じる建物だ。

しかしよく見ると、建物の壁は煤け、この建物も長い間放置されていたことが伺える。

双葉町コミュニティセンター

 

双葉駅の周辺は宅地で、住宅が密集している。
ぱっと見る限り、よくある地方の住宅街だ。

でも、よく見ると、建物が朽ちている。
屋根が剥がれ、壁が崩れ落ちている。

そして、何より空気が違う。
人の気配を全く感じない。
命のうごめきを感じることができないのだ。

見た目はごく普通の地方の町並みなのに、命を感じない。

「街の剥製だ」

私はそう思った。
見た目は生きているかのごとくリアルであるが、ガラス玉の目には何も映らず、触ると冷たい。
あの剥製のような空気を、この町並みから感じた。

双葉駅近くの住宅

 

電車はさらに進み、浪江駅に差し掛かる。

この間、見かける「動いているもの」は工事車両と工事関係者ばかりだ。
避難指示が出ている中、工事に尽力してくださっている人々の存在を目の当たりにして、頭が上がらない。

浪江駅近くのお米屋さん

 

電車は、浪江駅を過ぎ、更に北上する。

少しずつ車が増え、人が増え、日常が増え、仙台に向かって電車は走る。

終点、仙台駅

死にゆく街を

電車が帰宅困難区域を走っている中、私は(この空気は、前にも感じたことがある)と考えていた。

それがいつかは、すぐにわかった。
長崎の、軍艦島に行ったときだ。
かつて炭鉱で栄え、その後無人島となったあの島と同じ空気なのだ。

軍艦島を訪れて、一番印象に残ったのは朽ちた風景よりも死んでいる空気感だった。
街が剥製となり、その剥製も波風にさらされて朽ちていき、同時に空気も死んだ。
そこに立つだけで全身にじわじわと重さが入り込み、心まで固くなってしまう、そんな情景に恐怖を感じた。

軍艦島の風景

 

あの軍艦島の空気に似たものが、この福島の一部に漂っていた。

軍艦島は無人島になってから40年以上。
この福島の帰宅困難区域はあの地震から10年弱だ。

それでも、空気は死んでいく。

立ち入りができない区間に電車を通すことに、様々な議論がある。
私も、なぜ電車を走らせたのか、理由がわからず特急ひたちに乗り込んだ。

もしかしたら、電車を走らせ、空気を動かすことで、街が死んでいくのを止めたかったのかもしれない。
たしかにそのタイミングでいうと、今がギリギリなのかもしれない。

そんなことを思うような、それほど冷えた特殊な空気が、あの場所には流れていた。

この記事が参考になったら
いいねやシェアいただけると嬉しいです

Twitter で