『アンの娘リラ』という戦争小説。赤毛のアンを少女向けの小説と舐めてはいけない
『赤毛のアン』という本がある。
アニメにもなり、多くの人が知っている本だ。
アンの続編も書かれており、少女だったアンが大人になり母になるところを読者は知ることができる。
私にとって一番印象に残っているアンの本は、『アンの娘リラ』だ。
この本の舞台は1914年〜1918年。
歴史に詳しい人なら、この年号にピンとくるだろう。
赤毛のアンのシリーズ10作目は、第一次世界大戦を舞台とした、戦争小説である。
『アンの娘リラ』
赤毛のアンシリーズの10作目『アンの娘リラ』はアンの末娘リラ(バーサ・マリラ)が主人公の物語だ。
アンが孤児院からマリラとマシュー引き取られたのは11歳のとき。
明るくて天真爛漫だった少女のアンはスクスクと成長し、結婚し、7人の子供を授かる。
この『アンの娘リラ』では、アンは48歳になっている。
リラは14歳。
冗談好きの父・ギルバートと愛情に溢れた母・アンのおかげで、笑いの溢れる愛に満ちた一家だった。
第一次世界大戦が、何もかもを変えてしまうまでは…。
第一次世界大戦の火蓋が切られたのは欧州だが、イギリス連邦加盟国であるカナダも自動的に連合国側として参戦する。
カナダでは強制的な徴兵は行われなかったが、多くの青年が戦争に向かった。
自ら意気揚々と志願して戦地に向かう者もいれば、渋々と志願した者もいる。
戦地に行かないと決めた者もいる。
どの選択をしても、悩みは尽きない。
狭い街なので、近所の人の目も気になる。
アンの息子たちも、戦地に旅立った。
残された女性たちは、先の見えない不安、愛する者を失う恐怖を抱え、暮らしていく。
印象に残っている場面
この本で一番印象に残っているのは、冒頭の近所の人達が集まって談笑している何気ない場面だ。
手にしている新聞には、オーストリア=ハンガリーのフランツ・フェルディナント大公が暗殺されたという記事が載っている。
遠いヨーロッパで起きたその事件に人々はあまり関心を示さない。
その暗殺事件が引き金となり、第一次世界大戦が勃発することを、まだ誰も気づいていないのだ。
それよりも近所の噂話のほうが重大事件なのだ。
『アンの娘リラ』を再読したとき、このシーンの意味深さに戦慄が走った。
世界が変化するほどの大きな事件であっても、その兆候は日常に紛れている。
我々は気付くことなく、身近な雑事に気を取られて、日々を過ごしていく。
見えないところで、大きな変化が起きていても、ほとんどの人々はギリギリまで気づかないのだ。
感想
なぜ、今この本について思いを馳せているかというと、新型コロナの始まりと前章で挙げた第一次世界大戦の始まりが重なったからだ。
中国の武漢で謎の疫病が広まっていると聞いたのは、1月のことだったろうか。
当時の私は、この疫病が自分の生活に大きな影響を及ぼすとは思っていなかった。
世の中も、コロナよりインフルエンザの方が死亡者が多い、と言われるほど楽観的だったと思う。
まさにあの瞬間こそ、見えないところで大きな変化が起きていた。
ほとんどの人々はギリギリまで気づかずにいた。
中には危機感を語る人を冷めた目で見る人もいた。
最初の数日はゆっくりじわじわと。
皆が気づいたときには手遅れで、急加速で世の中が変化していく。
『アンの娘リラ』で起きていたことが、現実に目の前に広がった。
第一次世界大戦の始まりから収束までの人々の気持ちの変化を、モンゴメリーが精緻に写し取ったということが、今あらためてわかった。
『アンの娘リラ』では戦争、今のこの世はコロナと原因は違うけれど、私も、今のこの瞬間の自分の心の動きを見つめていようと思う。
世の中の変化と、それに伴う私の心の揺らぎをしっかりと記憶しておきたい。
歴史は何度も繰り返されるものだから。