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差別問題について考えるために、「差別がない状態」をまず考えてみる


2018年1月に、差別について考察した記事を書いた。

差別については、考え方が以下の3つにわかれるため、「差別がない」という状態が人によって違うという記事だ。

差別について3つの考え方
1.差別がなくなると困る人
2.「差」を無かったことにしたい人
3.「差」を誇りに思う人

それから2年経つが、差別が起因となる事件は変わらず起きている。

そして、変わらず、前述の記事で書いた「差別を無くすとはどういう状態か」というゴールがバラバラなのを感じる。

最近目にした2つの記事をもとに考えてみたい。

2つの出来事

実際に起きた差別問題がベースの2つの記事に心を動かされた。

その二つの差別問題とは、某大学が入試において合格点に達していたにも関わらず、性別や年齢を理由に不合格にしていた事件と、アメリカで起きた黒人が警察官に殺された事件である。

crystal-z『Sai no Kawara』

何かのSNSで流れてきたこの楽曲。
何も情報を入れないで最後まで聞くように、という指示のもと、見た。

全部で5分13秒の楽曲なので、時間がある人はまずこの曲を最後まで聴いてみて欲しい。


 

この曲は、某大学の医学部が、入試において合格点に達していた受験生を性別や年齢を理由に不合格にした事件が元になっている。

この曲を終わりまで聞いた方は、最後の最後にやるせなさを感じたと思う。

実際、この某大学の学長と医学部長は、記者会見において、差別を行った理由を差別が正当なものであるかのように説明をした。

しかし、本当に心の底から差別ではない正当な対応だと思っているのならば、募集要項に「女性と浪人生はお断り」と書けばいいだけである。
それをしなかったのは、どこかで差別的な要素を認識していたからではないだろうか。

このことを、前述の差別についての3つの考え方に当てはめると、某大学の学長たちは1(差別がなくなると困る人)なのだと思う。
何が困るのかは私には理解できないが、差別がある今の状態を維持することが彼らにとって好ましい状況なのだろう。

差別について3つの考え方
1.差別がなくなると困る人
2.「差」を無かったことにしたい人
3.「差」を誇りに思う人

「黒人」と「アフリカ系アメリカ人」

米国で起きた黒人差別事件の流れで、あるNewsweek日本版の記事が目に留まった。
『「アフリカ系アメリカ人」「黒人」、どちらが正しい呼び方?』という記事だ。

肌の色による差別が行われてきた事実を踏まえて、「黒人」という肌の色由来の呼び名ではなく「アフリカ系アメリカ人」と呼ぶほうが礼儀正しいと思われてきた節があるが、当事者たちはどう呼ばれたいと思っているのだろうか?という記事である。

実際にアンケートを取ったところ、ほとんどの人は「黒人」(Black)と認識されたいと答え、「アフリカ系アメリカ人」(African American)や「有色人種」(people of color)より多かったそうだ。
理由は、「黒人」という言葉は、自分自身の出身地やルーツがどこであれ、アメリカで暮らす黒人を包括的に表していると感じるから、というものだった。

黒人のことを「アフリカ系アメリカ人」と呼ぶことが礼儀正しいと感じる人は、3つのタイプで考えると、2(「差」を無かったことにしたい人)となる。
肌の色を意識から無くすことで、差別がなくなると考える人だ。

だが多くの黒人は、3(「差」を誇りに思う人)だった。
自分の肌の色に誇りを持った上で、黒人だからという理由で犯罪者と疑われる日々に終止符を打ちたいのだ。

差別について3つの考え方
1.差別がなくなると困る人
2.「差」を無かったことにしたい人
3.「差」を誇りに思う人

差別を無くすための対応

この2つの件によって、あらためて差別が無くなる状態とは何かを考えさせられた。

入学試験

某大学の話。

1(差別がなくなると困る人)がいる場所で差別のない状態を作るのなら、差別の材料を与えないことが一番早い。

大学入試を例に取ると、年齢や性別を問わないこと、である。
名前から性別が推測できるので、名前も記載しないで、受験番号のみの記載となるのかもしれない。
面接は…顔を見せずに、音声も変える?

それをすることで、性別や年齢を理由に不合格になることは無くなるかもしれない。

ただし、差別が無くなった訳ではない。
情報不足で差別ができなくなっているだけで、差別をする人の考え方は何も変化していない。
新たな差別の材料が見つかれば、もしくは新たに作り出して、差別をするだろう。

肌の色

かつて、マイケル・ジャクソンの肌の色が白くなった時に、「白人になりたくて、肌を脱色している!」と揶揄されていた記憶がある。
実際は、彼は尋常性白斑という病気で肌の色素が抜けたのだが、当時はその言葉を信じない人が多数いた。

これは、世間の多くの人が、2(「差」を無かったことにしたい人)であるが故に生まれた誤解である。
マイケル自身は、「僕はアフリカン・アメリカンである事に誇りを持っている。」と語っていたそうだ。
病気による肌の色むらを無くすことは望んでいたが、それは肌を白くしたいという意味ではなかったのだ。

先のアンケートによると、現在の黒人も、3(「差」を誇りに思う人)が多数いることが伺える。
「アフリカ系アメリカ人」と肌の色を濁すのではなく、「黒人」として自分の肌の色に誇りを持って生きていきたいのだ。

肌の色で差別をしない、というのは、肌の色を隠すことではなく、肌の色の違いを認め合った上で、対等な人間として生きていくことなのだ。

私が見た差別のない環境

過去にも一度、差別がないことについて、考えさせられたことがある。
それは、フィリピンでのことだった。

欧米では、履歴書に年齢や性別や未婚既婚などを書く欄がない、と聞いたことがある。
日本では、面接で本籍地や宗教について聞いてはいけないと決められている。

一方、私はフィリピンの会社で採用面接に関わったことがあるのだが、履歴書を見て驚いた。
年齢・性別はもちろんのこと、未婚・既婚、子供の人数と年齢、はたまた信仰している宗教まで、あらゆる情報が書いてあったのだ。

「宗教も聞くの!?」と驚く私に、現地スタッフは笑顔で言った。
「だって、それを聞いとかなきゃ、パーティーの時に食べられないものとか、誕生日どうするかとか、わからないじゃない!」

採用選考の話し合いでは、年齢も性別も婚姻歴も子供の有無も宗教も、全く話題に上らなかった。
スキルと社風に合う人物像のみで採用を決めた。

そして、職場では、各人の家族の情報や宗教が自然と共有されていた。(私も聞かれた)

この会社では、社員の誕生日に皆が集まって、ケーキや軽食を食べてお祝いをする。
私がある社員に「パーティーが始まるよ。会議室に行こうよ!」と声を掛けたら、「あ、私、エホバだから誕生日はパスで!」とさらっと言われた。
日本だったら「誕生日のお祝いはしなくていいから、ケーキだけでも食べたら?」と言う人がいそうだなと思った。
でも、フィリピンではパーティーに参加しない人がいる(ケーキも食べない)ことについて、誰一人気にしていないし、本人も自分だけがケーキを食べられないことに不満はないようだった。

誰かがそうしたいと思ってそうするのであれば他人は踏み込まないし、自分が自分の信条に沿うためにやむを得ない不利益なら気持ちよく受け入れる。(ケーキを食べられないことが不利益かどうかは個人差があると思う)

個人情報を聞くのは、必要に応じて配慮をするためである。
配慮をすることもされることも自然なことなので、それを重荷と思うこともない。

必要のないところでは、全く気にしない。

なお、宗教以外にも、この態度は貫かれた。
セクシュアリティについてもオープンに話せる環境だった。
業務終了後に、社員の恋人が会社まで迎えに来て、それが同性の恋人であっても、誰も気にしていなかった。

自分らしくいることが当たり前とされる環境は、とても居心地が良かった。

※この話は2010年の話で、現在の履歴書については不明
※私が知っているのはこの会社のみで、滞在も長期ではないため、フィリピン全体に差別がないのかまではわかっていない

差別がない状態とは

差別を無くすとは、履歴書から年齢や性別欄を消すことでも、肌の色を見ないようにすることでもない。
各人の情報を知った上で、それぞれが生きやすい社会を創造することである。

あまりに差別の意識が根強いときは、履歴書から年齢や性別を消すことや、肌の色に頼らない人種の呼び方をすることが、応急処置になるだろう。
差別のない世界を目指すための大きな一歩だ。

でも、それで満足してはいけないのである。

年齢や性別がどうであれ、それを理由に能力が歪められない世界。
肌の色が何色であろうと、そこに誇りが持て、生存を脅かされない世界。

差別の理由を見ないことにする社会から、もう一歩踏み込んで、違いを受け入れられる社会を目指すことが必要なのである。

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