時間が全てを落ち着かせた後に、心の中に残るもの
心の中に残るもの
眠れないほど悔しい出来事。他のことが何も手につかないほど高揚した出来事。
一生忘れないと思うほど心を揺さぶられたことであっても、時が感情をなだめ、落ち着かせていく。
その後に残るものはあるのだろうか。
感情が落ち着いたら、きれいさっぱり全てを忘れてしまうのだろうか。
1997年
大学時代、青森県の西南の端にある岩崎村というところに、ゼミの調査で何度も訪れた。
青森県からの依頼で、出稼ぎの歴史と実態をまとめるのが目的だった。
岩崎村の現役を引退した老人の家を訪ね、ただひたすら話を聞いていた。
当時、地方のお年寄りは「地元の国立大学は東京大学の次に賢い」と信じていた。
(たぶん、どこの地方でもそうだったはず。今ではこの美しい誤解は解けただろうか。)
そこで弘前大学の学生である我々も、「我が家に弘大の学生が来る!」ともの凄い歓待を受けることになったのである。
岩崎村の住民は、ほぼ全員が農業従事者か漁業従事者だ。
私がいた班は元漁師の地区を担当していたため、どこの家に行っても魚介類の大盤振る舞いだった。
モズクも数種の魚もアワビも、次から次に出てくるもの全てが「さっきあそこの島で取ってきた」というのである。
取れたての魚介類を出してくれるお店は数あれど、自分のために取ってきてくれた魚介を食べる機会は限られているのではないだろうか。
私の魚介好きがここで決定づけられたのは間違いない。
調査の合間には十二湖を散策した。
当時、白神山地はまだ世界遺産になっておらず、知る人ぞ知る特別の場所だった。
いつも往復には車を使っていたが、鰺ヶ沢でイカを食べたり、千畳敷を眺めたり、観光も十分堪能していた。
そして宿泊は、築100年以上たっている空き家を借りて、そこで20人くらいが一緒に寝泊まりした。
台所は土間であり、玄関の脇には馬屋もある、昔の造りの建物だった。
2009年
調査の日々から12年後、岩崎村を訪れる機会があった。
松神駅近辺の海辺にあった、その築100年以上の空き家を探してみた。
そこには、ほぼ柱だけになった廃屋があった。
あまり様子が変わったようには見えなかった岩崎村だが、その廃屋を見て、確実に歳月が経っていることを知った。
12年の月日と海風が、壁を朽ちさせ柱を残した。
そして私の心にも、時がたって薄れていった感情があり、そのまま残る思い出があった。
2017年
大学を卒業して20年近くになる。
当時の感情…悔しさも悲しさも喜びも、既に遠い記憶の一部になっている。
しかし、あのとき津軽弁が聞き取れなくて全身全霊でおじいさんの話に耳を傾けていたことや、空き家の中で酒を飲みつつ熱く交わした議論や、青湖の碧さに心を奪われて口をきけなくなった瞬間や、そういった様々な思い出は色鮮やかに蘇る。
生きていると、いろいろな感情に襲われる。
つらくて悲しくて嫌になることもあるけれど、そういった感情は時がゆっくりと忘れさせてくれる。
そして、自分の体に刻まれた「真剣に生きた」という事実だけが、胸の奥深くに残り続ける。