重松清『青い鳥』-大事な人を後回しにしてしまう大人たちへの本
青い鳥
村内先生は言った。
「嘘をつくのは、その子がひとりぼっちになりたくないからですよ。
嘘をつかないとひとりぼっちになっちゃう子が、嘘をつくんです。」
村内先生
重松清の小説『青い鳥』の主人公である、村内先生。
彼は国語の先生なのにどもりがある。
どもりで風采の上がらない村内先生を疎ましく思う生徒はたくさんいる。
なぜ、どもりなのに教師になったのか。そう問われた村内先生は言った。
「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいた方がいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから」
村内先生は思うように喋れないから、たいせつなことしか話さない。
だから、生徒の名前も一生懸命に呼ぶ。
苦手なタ行の音で始まる名前でも、ちょっと、とか、きみ、とかでごまかさない。
たいせつなものだから、まっすぐ目を見て、まっすぐに呼ぶ。
「あのなあ、人間はなあ、おとなになる前に、下の名前で、たっ、たくさん呼ばれなきゃいけないんだ。下の名前で呼んでくれるひとが、そばにいなきゃいけないんだ」
「かかかっ、かっ、家族もそうだし、ここここっ、恋人もそうだし、だだっ、誰でもいいんだ、だだっ、誰かいれば、それでいいんだ。でででっ、でも、そういうひとがもしそばにいないんだったら、先生が、呼んでやる」
生徒たち
村内先生は非常勤講師だ。
いろいろな学校に赴任して、そこの生徒たちと関わりを持つ。
この一連の短編小説の主人公は中学生。周囲の大人に厳しい視線を注ぐ年代だ。
愛されたいけど、素直に愛を受け止められない。自分の気持ちを分かって欲しいのに、素直に伝えられない。
そんな生徒のそばに村内先生はいる。
村内先生は思うように喋れないから、たいせつなことしか話さない。
思うように喋れない分、心を込めて一生懸命話す。
何度聞き返されても、何度も話す。
その思いは、少しずつ、でもまっすぐに、生徒の心に染み込んでいく。
私たち
愛されたいのは、自分の気持ちを分かって欲しいのは、中学生だけだろうか?
村内先生を必要としているのは、もしかしたら大人たちかもしれない。
大人って、なんだろうか?
「おまえの。手のひらは、もう。嫌いななにかを握り。つぶす。ためのものじゃないんだ。たいせつななにかをしっかりと。つかんで、それから。たいせつななにかを優しく。包んでやる。ための。手のひらなんだよ。
おとなになったんだ。おまえは、もう、おとなだ。」
村内先生が伝えたかったこと。
あなたは、ひとりぼっちじゃない。
全人類を救えるような完璧な人はいない。
でも、どもりの村内先生を必要とする生徒がいるように、誰でも誰かに必要とされている。
だけど、自分のことを必要としてくれている人ほど後回しにしていないだろうか?
仕事が忙しい、などとうそぶいて、大事な人をひとりぼっちにしていないだろうか?
大人の手のひらは、たいせつななにかを優しく包むためのものなのに、手を離していないだろうか?
かつて中学生だったすべての大人たちの心にも、村内先生の言葉は届くだろう。