働くこと

誤解が生じるメカニズム

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誤解は行間に生まれる

行間を埋めるもの

「行間には、書き手の思いが反映されるのではなく、読み手の経験が反映される」

編集者の友人が教えてくれた言葉だ。

誰かに何かを伝えたいたくても、自分の思いを正確に余さず言葉に直すことは不可能だ。
伝える側は、そこを何とか汲み取って欲しいと願う。
しかし、受け取る側ができるのは、足りない部分を自分の経験で埋めることだけなのだ。

長年連れ添った夫婦は、「これ」や「あれ」で通じ合う。
それは、普段の行動パターンや、表情から読み取れる感情など、たくさんの経験を共有しているからだ。

逆に、入社したばかりの社員に指示を出すときは、細かく説明しないと、とんちんかんな動きをしてしまう。
これは、その人の理解力が乏しいからではなく、共有している経験が少ないからだ。
 

誤解を理解する

誤解がなぜ起きるか

誤解をしたくてする人はいない。
「さあ、今日は誤解をするぞ!」と意気込んで誤解をする人はいないし、万が一いたとしても、それは曲解であって誤解ではない。
伝える側が誤解が生じたと感じたとしても、受け取る側にとっては、その人ができる最大限の理解なのだ。

思いの全てを言葉に変換することは不可能だから、誰とのコミュニケーションでもどこかしら行間に頼る必要がある。
この行間に伝え手が意図していなかったものが埋め込まれたときに、誤解が生まれる。
さらには、受け手が行間に埋め込みたいものが大きすぎて、伝え手が言葉にしたことが押し消されて起こる場合もある。

受け取り手が何を行間に埋めるかは、伝え手にはコントロールできない。
そのために「え?そういう風に受け取るの?」と驚く事態が起こるのだ。
 

誤解を防ぐために

受け取り手が何を行間に埋めるかを、伝え手がコントロールすることはできないが、受け取り手に合わせて行間の大きさを変えることはできる。

例えば、「これとって」「あれやって」で伝わる夫婦の場合、自分の思いを10%しか言葉にしていないが、それまでの経験の積み重ねが90%を埋めてくれるので、問題なく事が進む。

入社したばかりの社員に作業をお願いするときは、やることを100%近く言葉にしないと、うまくいかない。
80%くらいは言葉にしても、相手が持つ経験だけでは残りの20%が埋められない場合、無理やり無関係な経験までが総動員されて、とんでもないことが起こったりする。

つまり、誤解を防ぐために必要なのは、自分の思いを正確に言葉に直すことではなく、相手がどこまで行間を埋められるかを知ることなのだ。
極端にいえば、相手が経験豊富でどのような行間をも埋められる人であれば、自分の思いを言葉にできなくても、汲み取ってもらうことができる。
とはいえ、そこまで万能に行間を埋めてくれる人はいないので、伝え手側が相手の経験を予測し、この人にはここまで詳しく伝えた方がいいだろう、あの人にはここは端折ってもいいだろう、と判断して、言葉を選ぶことが重要なのである。
 

自分が受け手側のとき

自分が話を聞く側のときは、自分が理解したことは、自分の経験で補足がされた上での理解だと知っておいた方がいい。

思いを100%言葉に直せる人はいない。
受け取る側は、相手から発せられた言葉の足りない部分を、自分の経験で補ってから理解する。

誰かに言われたことで、もやもやしたり、怒りにかられるときがある。
「どうしてそんなこと言うの?」と聞いて、「そんなつもりじゃなかった」と返ってきたら、それは行間を埋めるものが相手と自分で決定的に違っていたということだ。
どちらが悪いというわけではなく、これまで違う経験をしてきたため、行間を埋めるものが全く違っただけなのだ。

とある分野の経験が偏っていたり、ある種の経験を全くしていなかったり、というのは当然に起こりうる。
相手の経験が自分と違っているからといって、怒ったり嘆いたりしても意味がない。
お互いの経験を持ち寄って共有することで、理解し合うしかないのだ。
 

足りない行間を埋め合うこと

自分の思いを100%言葉にできないことを、もどかしく感じるだろうか。
しかし、100%言葉にできないからこそ、「通じ合う」という経験ができる。

もし、誰かに仕事を頼まれるとき、やることを100%全て指定されて、それ以外のことをしてはいけないと言われたら、仕事をやらされている感覚になる。

会話も同じだ。
もし思いを100%言葉に直せる人がいて、「これが私の考えだから受け取って」と丸ごと渡されたら、気持ちを押し付けられた感覚になる。
そこに想像力を働かせる余地がなかったら、受け取った方は「そうですか」としか言いようがなく、会話にならない。

お互いに思いを100%言葉にできないことが分かっているから、相手の気持ちを想像して、それはこういうことかなと、自分の思いを話したり質問したりと会話が生まれる。
そして、行間がぴたりと埋まったとき、「通じ合った」という感覚が生まれ、相手に対する親近感が沸き起こる。

誤解されて悔しいとき、自分の思いが伝わらなくてもどかしいとき、相手のことが理解できなくて切ないとき、自分の心を取り出して相手に渡すことができればいいのにと思うことがある。
でも、それができないからこそ、人間は理解し合おうとするし、理解し合えると嬉しい。

誤解は行間から生まれるが、理解と共感も、行間で待っている。

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