自分の看板は自分で作っている
例:新年会の店選び
自分がどのような情報を出すかによって、周りに集まってくる人が変わってくる、と感じることがあった。
きっかけは、新年会の幹事になったことだった。
新年会
年明け早々に行われる、会社の新年会の幹事になった。
お店はどこにしよう。
会社の飲み会用の店選びには、押さえるべきポイントがある。
一点は、予算内にきちんと収まること。
もう一点は、会が滞りなく進むこと。
美味しい料理が食べれるかどうかも大切だが、より重要なのはこの2点である。
早速何人かの友人に、◯◯駅の近くで20人以上入れて1人5000円で飲み放題付きのコースがあるお店知らない?と聞いてみたところ、続々と情報が集まってきた。
集まってきたお店はどれも美味しそうで良さそうなお店だった。
その中でどのお店にするかを選ぶ時、お店がWEB上に出している情報が決め手になった。
特に意識したのは、下記の項目だ。
・「飲み放題付きコース」とWEB上のメニューに載せている
・どのような席が用意されるか想像がつく
「飲み放題付きコース」とWEB上のメニューに載せている
飲み放題があるお店が最低条件だ。
うっかり予算オーバーにならないために、あらかじめ飲食全ての値段が確定していることが重要だからだ。
紹介してもらったお店には、飲み放題があると明言していないお店があった。
友人は「言えばやってくれるよ」と教えてくれたが、そういう店は選択肢から外して、WEB上(お店のサイトや食べログなど)に飲み放題付きコースを載せている店を選んだ。
どのような席が用意されるか想像がつく
20人以上と人数が多いので、お店にちゃんと入れるかも気になった。
30人まで入れる個室あります、というお店なら問題ないだろう。
中には、20人以上なら貸切できます、というお店もあったが、店の内観の写真や見取り図がないお店は候補から外した。
以前、店を貸し切ったのだが、その店の個室も解放しての受け入れだったいうことがあった。
個室ごとに人が散らばって、全く一体感のない会となってしまった。
なので、貸切ができたとしても、皆が一緒の場所にいられることが確認できるお店以外は候補から外した。
情報を自ら出すこと
そのお店に飲み放題があるかどうかや、どのような席が用意されるかは、お店に電話して確認すれば分かることである。
しかし、お店一軒一軒に電話して確認するのはとても手間がかかる。
よっぷど行きたいお店であれば別だが、そうでなければついついWEB上の情報に頼ることになる。
私に限らず、多くの人がそうであろう。
では、WEB上に情報を載せているお店が幹事に親切だから選んだのかと言われると、そうではない。
お店がそういう情報を載せているということは、そういう場を望む客を求めている、というように判断したのだ。
求めるもの:飲み放題の場合
飲み放題がある店が最低条件だが、飲み放題をやってくれる店なら何でもいいのではない。
探しているのは、飲み放題の客でも歓迎してくれる店であり、飲み放題の客に慣れている店なのだ。
通常メニューに飲み放題を用意していなくても、店長と仲が良い友人にお願いしたら飲み放題をやってくれるかもしれない。
しかし、そういうお店の店員さんは、飲み放題の客に慣れているだろうか。
イレギュラーのお客さんに対し、スムーズなオペレーションを期待するのは難しいのではないだろうか。
逆に、サイト上に「飲み放題あります」と書いてある店であれば、これまでも飲み放題の客を何組も受け入れているだろう。
その方がスムーズなオペレーションを期待できる気がするのだ。
また、お願いしてイレギュラーな扱いをしてもらうと、どうしても気を使ってしまう。
最初から、飲み放題ありますと前面に出しているお店なら、飲み放題の客を歓迎してくれそうな気がする。
求めるもの:会場の場合
会場の状態が分かるというのも同じだ。
30人入れればいいのではない。
探しているのは、大人数の客を歓迎してくれる店であり、大人数の客の扱いに慣れている店なのだ。
30人入れる店だとしても、30人が一斉にやってきて、一斉に乾杯の飲み物を注文し、30人分をまとめて調理する、という状況に慣れているかは分からない。
しかし、「30人入れる個室あります」と書いてある店なら、これまでも団体客を扱ったことがあるだろう。
店を貸し切った場合、どういうテーブル配置になるかを知らせている店は、これまで貸切客を扱ったことがある店だろう。
こういう店の方が大人数の客の扱いに慣れている可能性が高いように感じる。
求めているのは、こういった安心感なのだ。
自分の看板は自分で作っている
AとBというお店が2軒あったとする。
今回の場合、AとBはメニューも値段も全く同じだったとしても、店Aしか上記の条件をサイトに載せていなければ、私は迷わず店Aを選ぶわけだ。
それは、店Aが、そういう積極的に情報を表に出しているからである。
店だけではなく、個人でも同じようなことは起こる。
例えば、CとDと人が2人いるとする。
ある分野において、Dの方が実力が上だとする。
しかし、Cは積極的にその分野において「仕事やります!」と言っている。
Dは、自分の実力に気づいた人だけが声を掛けてくれればいいと考えている。
人は、どちらに仕事を頼むだろうか。
この分野の仕事をやってくれる人がいないかな、と、探した時に、手を挙げているCに目が止まるだろう。
手を挙げていないDは、いくら実力があったとしても、見つけてもらえなければ実力に気づかれることもない。
もしくは実力に気づいてもらえても、「何も言っていないということは、今は新しい仕事を引き受けるつもりはないのかな」と思われてしまう。
自然と仕事はCに集まるだろう。
「Cなんかより自分の方が実力あるのに!」と歯がゆく思っても、Dには仕事は来ない。
自分の実力と、仕事を求めているという、この2つの事実を表に出さないからだ。
逆のことも言える。
Eという人がいるとする。
本当は○○という分野で仕事をしたいが、それだけでは生活できるか不安なので、■■という仕事もやると看板を出した。
そうすると、もちろん■■を求める客もやってくる。
○○以外のことは極力したくないのに、■■の仕事もしなくてはいけない。
しかも、そちらの実力も認められ、■■の仕事が増えていく。
「どうして■■の仕事の依頼しか来ないのだろう」と悩んでも、自分が■■をやると看板を出しているから、しょうがないのである。
自分の発した情報が、自分の看板となる
人は、表面に現れているもので判断をする。
よっぽど相手に興味を持たない限り、「看板にはこう書いてあるけれど、実際はどうなのだろう?」と疑ったり確認することはない。
相手は、看板に書いてあることを正しいと思って判断するのだ。
黙っていても相手が汲み取ってくれることは、よっぽどのことが起きない限りない。
また、自分が本心と違うことを言ったとき、それは嘘だと読み取ってくれる人はほとんどいない。
自分が発した言葉、出した情報が、そのまま、自分自身を表すものとなるのだ。