苦しみから解放されるにはネガティブな感情を手放すのではなく受け入れること


悲しみ・寂しさ・恐怖への誤解

この記事で、怒りの計算式を紹介した。

(寂しさ・悲しさ・恐怖)× 思う通りにいかないこと = 怒り

そこで、言葉足らずの部分を、補足する。

まず、こういった思いは、誤解であることを伝えたい。
・悲しみ・寂しさ・恐怖といったネガティブな感情は悪だ!
・こんなネガティブな感情をもつ私はダメな人間だ!

これは、2つとも間違っている。

ネガティブな感情は、必ずしも悪いものではない。
そして、こういった感情は、誰もが持っている。

悲しみ・寂しさ・恐怖はなぜ生まれるか

悲しみ・寂しさ・恐怖はなぜ人の心に入り込むのだろうか。
いつ、どうやって、生まれるのだろうか。
親の子育てが間違ったせいで、生まれたのだろうか?

発生の瞬間

悲しみ・寂しさ・恐怖は、生まれた瞬間に発生するものだ。

人は、お母さんのお腹の中にいる時は、快適な時間だった。
常に人肌に温められた環境にいる。
栄養は自動的に送り込まれている。
見渡す限り、そこには自分しかいない。(双子・三つ子等は別だが)

しかし、生まれた瞬間に、環境がガラリと変化する。
外は、寒い。もしくは、暑い。1日の中でも温度は変化する。
栄養は、自分で口を動かして取りに行かないといけない。
周囲には自分以外のものがいろいろある。
中には火のついたストーブや、段差など危険なものもたくさんあり、邪魔をしようとする。
そこはお腹の中とは比べ物にならない過酷な環境なのだ。

その過酷な環境のなかで、悲しみ・寂しさ・恐怖は生まれる。
温かなところにいられない悲しさ。
常に温かいところで守ってもらえるわけではない寂しさ。
危険を感じる恐怖。
人は生まれるだけで、悲しみ・寂しさ・恐怖を心に感じるようになる。

感情の強化

幼い子供の持つ、悲しみ・寂しさ・恐怖といった感情は、消えるどころか増えて行く。
生き延びるために必要な武器も防具もまだ持ち合わせていない。
誰かに頼らないと生きていけない。
見捨てられたら死んでしまう。
この思いが、悲しみ・寂しさ・恐怖となる。

その後も、いろいろな経験を積むたびに、いろいろな感情が心の中に降り積もっていく。
もちろん、悲しみ・寂しさ・恐怖もその中にある。

悲しみ・寂しさ・恐怖といった感情は、全ての人間が持つものだ。
自分だけが持つものではない。
だから、そんな感情がある自分を卑下する必要はない。

悲しみ・寂しさ・恐怖は悪いものではない

ネガティブな感情を持つ自分が許せないと、自分が持つ悲しみ・寂しさ・恐怖を押さえつけようとしてしまう。
しかし、悲しみ・寂しさ・恐怖は悪いものではないし、隠さなければいけないものでもない。

パワーの源

人が何かをする時、悲しみ・寂しさ・恐怖が原動力になることは多い。

悲しみを知っているから、もうそんな思いをしないために、立ち上がって歩くことができる。
寂しさを知っているから、人の寂しさに寄り添って優しくなれる。
恐怖心を克服するために、実力をつけようと頑張ることができる。

他にもいろいろと思い浮かぶだろう。
悲しみ・寂しさ・恐怖があるから、人は優しく強くなれるのだ。

でも、もし、苦しかったら

悲しみ・寂しさ・恐怖は、パワーの源にもなるが、時には自分を苦しめるものにもなる。

感情も無視されるのは苦しい

「好き」の反対は「無関心」というように、人間は嫌われるよりも無視される方が堪える。
それは自分の感情も同じだ。

悲しみ・寂しさ・恐怖といった感情が心にあるのに、その心の持ち主が存在を無視していると、無視された感情が疼き始める。
その結果の一つが、冒頭に紹介した計算式にてもたらされる怒りだ。

また、怒りを呼ばずに自分を攻撃し続ける場合もある。
お前はダメな人間だと囁き続ける。
新しいことに挑戦したいと思っても、どうせ失敗するよ、と水を差す。

悲しみ・寂しさ・恐怖を無視すると、無意識化で反乱を起こし、自分に自信を持たせないようにするのだ。

感情を認めること

悲しみ・寂しさ・恐怖が反乱を起こしたときは、その感情を認めることが、解決策となる。

私はこの世に生きていてはいけないのではないか?
私は生きているだけで人に迷惑をかける人間なのではないか?
私を愛してくれる人なんてこの世にいないのではないか?
私は無力で何もすることはできないのではないだろうか?
私なんて生まれてこなければよかったのに!

誰もがこういった気持ちを心の奥底に隠している。
生まれ出た環境が、お腹の中に比べて過酷なために生じた感情だ。
その感情が、日々の生活で強化されて心に残っているのだ。

これらの感情は、悲しみも寂しさも恐怖も深すぎて、直視するのが辛い。
考えようとするだけで涙が出てきたりもする。

自分が、こういった感情を抱きつつも生きてきた、その自分の健気さを認めることが第一歩だ。
ここまでとても頑張った。
痛みを抱えて生きてこれた。
これはとてもすごいことなのだ。

その思いは本当ですか?

自分の頑張りを認める一方、この思いは、幼い子供が生み出した感情だということにも留意する必要がある。

当時は、身を守る術を知らなかったから、そういった感情が生まれた。
でも、もう、大人なのだ。
考え方を変えてもいい。

本当に、この世に生きていてはいけませんか?
本当に、生きているだけで人に迷惑をかける人間ですか?
本当に、愛してくれる人はこの世にいませんか?
本当に、無力で何もすることはできない人間ですか?
本当に、生まれてこなければよかったですか?

自分にこう問いかけるとき、心の探求は既に始まっている。

この世は広く温かい

幼い頃には、生き抜くことが難しく思えたこの世も、実際は広く温かいところだ。
虫だろうと動物だろうと植物だろうと、あらゆるものがありのままの姿で、生きることを許してくれる。

生きている価値があってもなくても、それでいい。
人に迷惑かけたっていい。
そもそも愛に何を求めてる?
無力だからこそできることもある。

だって、生まれてきたんだもん。
生きている意味はそれだけでいい。

ネガティブな感情を持っていることは悪いことではない。
ネガティブな感情を無視すると、厄介なことが起こるだけだ。
悲しみ・寂しさ・恐怖を持つ自分を肯定できるようになると、今の自分がありのままの姿で生きていることを肯定できるようになる。

そのとき、それまで感じていた苦しみが、随分と楽になるだろう。

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