怒ってばかりいる妻と、妻の気持ちが理解できない夫。その理由の考察
ある日妻が怒った
その日は休日だったが、妻には朝から仕事があり、夕飯時にやっと帰ってきた。
休日出勤は憂鬱だったが、帰り道の足取りは軽かった。
お取り寄せした美味しいと評判のおぼろ豆腐が到着する日だったのだ。
家にいる夫に、「受け取ったら、箱を開けて冷蔵庫に入れてね」と念押ししてあった。
夕ご飯にはぷるぷるのおぼろ豆腐が食べられるのだ。
ところが、ここで事件が起きた。
帰宅して、冷蔵庫を開けたが、おぼろ豆腐は見当たらない。
夫に、豆腐は?と聞いたところ、さらっと在処を教えてくれた。
「受け取って仕舞っておいたよ。冷凍庫に」
冷 凍 庫 に ?
はああああああ!?
慌てて冷凍庫を開けると、確かにそこにはおぼろ豆腐があった。
カチカチに凍り、無残な最期を遂げていた。
妻の怒り、夫の戸惑い
一瞬で頭に血が上り、夫に怒りの口調で問いかけた。
「豆腐は冷凍庫に入れちゃダメって知らなかったの!?」
「だって、クール便で届いたし…」
「クール便って冷蔵でしょ!?なんでそれを冷凍庫に入れるのよ!?」
「ごめん・・・」
「はああ!?今日の夕飯に食べようと思ってたのに!」
「ごめん・・・」
「今日の夕飯どうしてくれるの!?」
「今からスーパー行って豆腐買って来るよ」
「私は、これが食べたいの!スーパーには売ってない!」
「ごめん・・・」
「さっきからごめんってばかり言って、何に謝ってるのよ」
「豆腐を冷凍庫に・・・」
「そうじゃない!もういい!!」
「え・・・」
納得のいかない二人
豆腐ごときで妻がここまで怒るとは。
夫には全く理解ができない。
一方で、妻も自分の怒りに戸惑っていた。
豆腐ごときで怒るのはおかしいと思いつつ、でも怒りが止められない。
自分でも何に怒っているのか分からないので、余計にイライラする。
こんなときにとりあえず謝られても、こちらの怒りが増すだけだ。
怒っている方が何に怒っているか分からないのだから、怒られた方が何に怒られているのか分かる訳ない。
わからないままとりあえず謝るが、それが火に油を注ぐと分かると、黙り込んで嵐が過ぎ去るのを待つのみとなる。
もちろん、この悲劇は、理由があって起こっている。
怒りの本質
実は、怒りとは、表面的な反応である。
怒りは、怒りをもたらす出来事に反応して噴出する感情であるが、その奥底には違う感情が潜んでいる。
怒りを覗き込むと、その奥底には「悲しい」「寂しい」「怖い」といったものがある。
これらの感情が、自分の思い通りに進まなかった事柄と反応を起こして、怒りに変容するのだ。
計算式に直すと下記のようになる。
(悲しい・寂しい・怖い)× 思い通りに進まなかった事柄 = 怒り
奥底にある感情が大きければ大きいほど(普段から我慢をしていればしているほど)、自分の思い通りに進まなかった事柄がささやかであっても、怒りは大きくなる。
ここでポイントとなるのは、奥底にある感情の内容と、自分の思い通りに進まなかった事柄の間に関連性はないことだ。
「自分の思い通りにいかなかった」という事実があれば、その内容が何であれ怒りになるのだ。
しかし、怒られている側からすると、目に見えるのは「自分の思い通りに進まなかった事柄」だけなので、「どうしてこれくらいのことでそんなに怒るの?」や、「これって別に怒るほどのことでもないよね?」と考えることとなる。
怒りの奥底にある本当の気持ち
実際にどういう感情が怒りの奥底にあるか、具体的に考えてみよう。
上記で挙げた、豆腐の話を例にする。
なぜ、500円もしない豆腐で、あそこまで怒りが爆発したのだろうか。
私の場合・寂しい
この豆腐事件が起きた頃、私は毎日長時間勤務をしていた。
自分の分の家事をするだけで手一杯で、自分のための時間は全く取れなかった。
一方、夫は定時退社が可能な部署にいて毎日早く帰ってきていた。
私が家に帰ると、テレビを見ながら、夕飯を待っている。
休日も、自分の分の家事はするけれど、それ以外はすることなく、自分の好きなことを好きなようにしていた。
私は、自分の時間が持てない状況が辛かった。
そして、この辛さを夫が理解してくれないことが寂しかった。
たった一人で頑張っているような気持ちになり、とても寂しかった。
この寂しさが引き金となって、怒りになったのだ。
悲しい
私の怒りの源は「寂しい」だったが、他の感情が引き金になる場合もある。
もし、例えば、この豆腐が、かつてお世話になった先輩が、豆腐屋として独立開業して作った最初の豆腐だったとしよう。
先輩が豆腐屋をやりたいことは、ずっと前から聞いていて、応援していた。
その、先輩の長年の夢の結晶である豆腐が無残な姿になったら、とても悲しいだろう。
こういう理由でも、激しい怒りが発生する。
怖い
もう一つ違う理由を考えてみよう。
もし、例えば、私が豆腐メーカーの商品開発室に勤務していたとする。
この部署では月に一度、ライバル社の評判のいい豆腐を食べて、その感想を会議で発表しなければいけない。
このレポートの出来が悪いと、やる気がないとみなされて、激しい叱責の対象となる。
翌日がその会議で、取り寄せた豆腐のレポートを書く予定だったら、どうだろうか。
この豆腐を食べなければレポートが書けない。
会議で怒られるという恐怖が沸き起こり、その恐怖が怒りを呼び寄せる。
実際はもっと複雑
実際に怒りの底にある感情は、寂しい・悲しい・怖いの複合体だ。
一人だけで頑張っている気持ちになって寂しい私は、夕飯に心の癒しにしようと思っていた豆腐が食べられなくて悲しいという気持ちも持っていた。
レポートを書かないといけない豆腐メーカーの社員なら、その重要さを夫が理解しないことを寂しく感じるかもしれない。
心の中にある、寂しい、悲しい、怖い、といった感情が、寄せ集まり、混ざり合って、怒りの根源となるのだ。
怒りを解消するには
怒りの原因がわからない理由
怒りの理由は、表面的な事象を見ただけでは、理解することができない。
前項であげた通り、表面的には「豆腐を冷凍庫に入れた」という事象でも、本当の怒りの理由は心の奥底にあり、人それぞれなのだ。
怒られた方が、相手が何で怒っているのか理解できないのは、心の奥底にある本当の怒りの理由が見えないからである。
怒っている方が、相手に謝られてもスッキリしないのは、本当の怒りの理由を相手が理解していないからである。
怒りの本当の原因を見つめよう
怒りは表面的な事象である。
怒りのきっかけになった出来事だけを見ていても、怒りは解消されない。
新たに豆腐を買いに行くなど、表面的な出来事を解決しようとしても、怒りが解消されないのはこのためだ。
心の奥底にある怒りの理由が解消されない限り、怒りは収まらないのである。
怒りを感じた方は、怒りの奥底にある本当の感情を相手に理解して欲しくて、怒る。
怒りは、「私のことを分かって!」という叫びなのだ。
しかし、よっぽどのことがないと、怒りの奥底にある感情を相手が察することは不可能だ。
なぜなら、怒りのきっかけとなった出来事と、本当の怒りの理由は無関係だからだ。
ここは、怒りを感じた方が、自分の心に問うしかない。
怒りを感じた側ができること
怒りを感じた時に、少し落ち着いてからでいいので、自分に問いかけてみてほしい。
この怒りの奥底にあるのは、寂しさだろうか、悲しみだろうか、恐怖だろうか。
心に問いかけ、心の声に耳を傾ける。
このとき「私を怒らせた相手が悪い」と思ってはいけない。
怒りのきっかけと怒りの理由は無関係なのだから、相手への怒りの感情を脇に置いて、ひたすら自分の心が昔から抱えている寂しさ・悲しみ・恐怖に耳を傾けるのだ。
もしかしたら寂しさ・悲しみ・恐怖を突き止めるのに、何日も掛かるかもしれない。
しかし、ここで本当の怒りの理由に気づかないと、この先も自分の思い通りに行かないことが起きるたびに怒りが発動することとなる。
本当の怒りの理由に気がつかない限り、怒りの理由は解消しないのだ。
何日掛かってでも、自分の心と向き合った方がいい。
怒りの理由を見つけることができたら、それだけでもだいぶ心が軽くなる。
そして、その理由を相手に伝えることができたら、怒りの理由から解き放たれる。
怒りを受けた側ができること
怒りを受けた側ができることは、想像することだ。
ここまで怒られるようなことしたかな?
どうしてこんなに理不尽な言われ方をするのだろう?
そう感じても、感じたそのままを口にしてはいけない。
相手の怒りの理由は、きっかけとなった出来事の他にあるのだ。
相手が感じているのは、悲しさなのか、寂しさなのか、恐怖なのか、それを想像しながら相手の話を聞くと、見えてくるものがあるかもしれない。
このとき、自分の想像を押し付けてはいけない。
何か見えてきたとしても「もしかして、一人で頑張ってて寂しかった?」「怒られるのが怖かった?」と相手の心に話し掛けるにとどめよう。
もどかしいかもしれないが、相手が自分の気持ちに自分で気づかない限り、怒りは解消しないのだ。
これは誰にでもあること
実際にあった夫婦喧嘩(私が一方的に怒っているだけだが)を例に出したので、「妻の怒りと夫の戸惑い」という内容で書いたが、これは夫婦逆でも起こりうることである。
男の人の中でも「男たるもの、悲しみや寂しさや恐怖を感じることは恥だ」と考えている人ほど、長年そういった感情を抑えつけているので怒りのエネルギーが強くなる傾向がある。
そしてもちろん、夫婦間だけではなく、会社や親子や友人関係といった、全ての人間関係に当てはまることだ。
そして、ささやかな怒りだけではなく、誰が見てもこれは怒るだろうという怒りの奥底にも、寂しさ・悲しさ・恐怖がある。
理不尽な目にあった。何かを盗まれた。誰かに裏切られた。
こういうときに感じる激しい怒りも、心の奥底に寂しさ・悲しさ・恐怖があるから生まれるのである。
男も女も親も子も上司も部下も関係なく、もし怒りを感じたら、その本当の理由を自分の心に問うてみよう。
そこには、長らく放置されて鬱屈している感情があるはずだ。
悲しみも寂しさも恐怖も、放置して自然消滅するものではない。
向き合って、手を差し伸べて、初めて解消するものなのだ。
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