心のこと

『ありのままの私』(後編)差別により手に入る自由と、性同一性障害についての考察

2017/01/13

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先日、安冨歩さんの講演を受けて購入した本の話、後編。

これの四と五にとても驚いた。
・生殖機能は持ってはいけない。
・性器の形状を変えなければいけない。

もちろん、男性器が欲しい女性や、男性器に愛着が持てない男性が、自主的に性器の形状を変更することは大切で必要なことである。
しかし、安冨さんのように、性自認は女性で恋愛対象も女性である場合(安冨さんは自身のことを「トランスジェンダーでレズビアンの男性」と分類している)、今の身体のままであれば愛する人との間に子供を授かることも可能だ。
だが、こういうトランスジェンダーでレズビアンの男性が戸籍上の性別を変更したいと願った場合は、生殖機能を失わなければいけない。
「性自認と社会的認識を合わせたい。」「愛する人との子供が欲しい。」
この2つの当たり前の願いを同時に叶えることが出来ないのは、なぜなのだろうか。
そして、生殖機能のない性器の見た目を変えることを強制するのは、なぜなのだろうか?

性同一性障害の「治療」やそれに伴う戸籍の変更は、性同一性障害という「病人」を、「男性器を持つ人は男らしくありなさい。女性器を持つ人は女らしくありなさい。」という世の中の秩序に当てはめるためにある、としか考えられない。
トランスジェンダーでレズビアンの男性は、治療をしても、「男性器を持つ人は男らしく」という秩序に当てはまらないので、「治療」の対象にはならないのだ。
上記に一部を引用した『性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律』の提案趣旨内には、「性同一性障害者の社会的な不利益を解消する〜」といった文言が見られるが、結局のところは「あなたは異常だから、この世の秩序に合うように身体を改造してね」というのが本音なのではないかと考えざるを得ない。

まとめ

この後編に該当する部分は非常に興味深かったため、安冨さんの本から飛躍した内容の記事になってしまった。
マツコ・デラックスと無縁の原理についてや、性同一性障害については、『ありのままの私』の本文内で、もっと噛み砕いて解説されている。

この本を読んで、人間がどれだけ「区別」され、そこから生まれる「立場」に根深く支配されているかに気がつくことができた。
人間の作り出した今ではもう必要のない支配に縛られていること、そして多くの人がその事実に気がついてないことを恐ろしく思う。

最後に、第6章美しさとは から、印象的な言葉を引用する。
私も「立場主義」から抜け出して、美しくなりたい。
そして、世の中の人々が皆「立場主義」から抜け出すことができたら、どんなに美しい世界が待っているのだろうか。

美しさとは、作るものではありません。掘り出すものです。自分自身という金鉱を探し出して掘り当てる。そうすると人は、美しくなるのではないでしょうか。
美しくなるために最も大切なことは、自分自身を生きることなのです。