長い文章でも一気に読んでもらえる!読みやすい文章を構成する2つの条件
文章を書くのが好きだ。
自分の考えを言語化して頭の外に出すという作業も好きだし、それが相手に伝わった瞬間はとても嬉しい。
読みやすい文章を目指して心掛けていることがいくつかある。
読みやすい文章の条件
読みやすい文章の条件は2つある。
- 読み手の脳にストレスが加わらない
- 読み手の脳に心地いい刺激がある
それぞれにいろいろな方法があるが、私が特に気をつけていることをあげる。
読み手の脳にストレスを加えない
読み手の脳に余計なストレスを与えないために、心掛けていることは3つある。
- 読み手の脳内の主語を意識する
- 関連する言葉は離さない
- 脳が予測する単語を意識する
読み手の脳内の主語を意識する
「読み手の脳内の主語を意識する」と言うと難しく聞こえるかもしれないので、まずは次の文章を読んでみてほしい。
[box class=”box2″]先生は教室の扉を開けた。
「みんな静かに!」と叫んだ。[/box]
この文章で「みんな静かに!」と叫んだのは誰かと聞かれたら、先生だと思うだろう。
次の文章だとどうだろうか。
[box class=”box2″]僕は、先生が教室の扉を開けたことに気がついた。
「みんな静かに!」と叫んだ。[/box]
こちらの文章では、「みんな静かに!」と叫んだのは「僕」だと思うだろう。
日本語は主語がなくても文章が成り立つが、それは聞き手の脳が直前の文章の主語を自動的に補っているからである。
聞き手の脳の中に主語があるのだ。
その主語と違う主語の文章が前触れなしに来ると、脳は軽く混乱する。
[box class=”box2″]先生は教室の扉を開けた。
「みんな静かに!」と僕は叫んだ。
[/box]
この文章を読むとき、「みんな静かに!」までは先生が主語だと思って読むが、次の「僕は」という単語を見て、脳が慌てて修正をかける。
ほんのわずかな修正であるが、これが余計なストレスとなり、積もり積もると読み進めるのが疲れてくる。
もし文章の主語を変えたい時は、前触れを与えるといい。
次の文章なら、「僕は」という単語を見たときに、脳内の主語が切り替わる。
[box class=”box2″]先生は教室の扉を開けた。
僕は「みんな静かに!」と叫んだ。[/box]
このように読み手の脳が推測する主語を意識して修正が入らないようにすることで、読み手の脳の余計なストレスを省くことができる。
関連する言葉は離さない
関連する言葉にはたくさんあるが、中でもよく聞くのが「修飾語と被修飾語」だろう。
修飾語と被修飾語は、距離が離れると脳が混乱する。
[box class=”box2″]かわいい私の子供[/box]
上の単語は、「かわいい私」が産んだ子供とも読み取れるし、私が産んだ「かわいい子供」とも読み取れる。
修飾語と被修飾語の距離が離れると、意味が汲み取りにくくなるのだ。
修飾語と被修飾語に限らず、関連する言葉が離れていると、意味は取れても脳に負担をかける。
例えば、次の文だ。
[box class=”box2″]隣のご主人はご両親と4年間弘前に住んでいた私でさえ聞き取れない流暢な津軽弁を使って電話をしていた。[/box]
2〜3回繰り返して読まないと、この文章の意味はわからないのではないだろうか。
「隣のご主人はご両親と4年間弘前に住んでいたのか…え、違う、私って何?」と混乱し、文章の最初から読み直す羽目になる。
この文章の場合、電話をしていたのは隣のご主人とご両親なのだから、「電話」という単語の直前にご主人とご両親を登場させた方が脳に負担は少ない。
[box class=”box2″]4年間弘前に住んでいた私でさえ聞き取れない流暢な津軽弁を使って、隣のご主人はご両親と電話をしていた。[/box]
もし、津軽弁で電話をしていたことを強調したいなら、こういう書き方ができる。
[box class=”box2″]隣のご主人はご両親と津軽弁で電話をしていた。
4年間弘前に住んでいた私でさえ聞き取れない流暢な津軽弁だった。[/box]
読み手に伝えたい重要な言葉は近くにまとめて置いたほうが、読み手の脳にすんなりと入ってくるのだ。
脳が予測する単語を意識する
人の脳は、次に来る単語を勝手に予測する。
例えば、ボールペンの話をしているときに「なめらかな」という言葉が出てきたら、「書き心地」といった言葉が浮かんでこないだろうか。
これがプリンの話をしているときだと「なめらかな」という言葉を聞くと、「舌触り」といった言葉が浮かんでくる。
プリンの話をしているときに「なめらかな」という言葉を聞いても、「書き心地」という言葉はなかなか浮かんでこないのだ。
この習性を利用する。
例えばボールペンの手触りがなめらかだったとしても、「なめらか」というと書き心地を連想させる可能性が高い。
脳の予想を裏切ると、脳にストレスがかかる。
なので、ボールペンの話をしている時は、書き心地以外では「なめらか」という単語は使わない。
[box class=”box2″]×このボールペンはなめらかな手触りだ。
○このボールペンはスベスベとした手触りだ[/box]
脳の予測する単語を意識して、脳に負担のない言葉を選ぶようにする。
読み手の脳に心地いい刺激がある
「読み手の脳への刺激」を言い換えると「リズム感」となる。
このリズム感は、語尾から生まれることが多い。
「ですます調」か「である調」か
文章の語尾を意識するに当たって、まずはその文章を「ですます調」か「である調」のどちらで書くかを決めて、統一することが大切だ。
「である調」だと上から目線になりそうだから書きづらい、という声を聞くが、それは関係ない。
上から目線の意識で文章を書けば「ですます調」を使っても、上から目線の文章になる。
「ですます調」と「である調」の大きな違いは、スピード感だ。
[box class=”box2″]まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。[/box]
[box class=”box2″]まだ陽は沈んでいないのです。最後の死力を尽してメロスは走りました。メロスの頭はからっぽでした。[/box]
かの有名な『走れメロス』の一節だ。
上の「である調」が原文、下の「ですます調」が改変したものだ。
原文の方が、メロスが速く走っていることが感じられるだろう。
原文は「である調」を使う他にも、句点を使って文章を短く区切り、スピード感を出している。
一方、「ですます調」は、スピード感は劣るが、メロスに寄り添っている感じが出ている。
このように、スピード感を持って読者をグイグイ引っ張って行きたい場合は「である調」が合っているし、ゆっくりとしたテンポで読者に寄り添いたい時は「ですます調」が向いている。
語尾を意識して、リズムを整える
「である調」か「ですます調」かを決めたら、その枠内で語尾を意識して、リズムを整える。
語尾をバラバラにする
同じ語尾がいくつも連続すると、小さい子供の作文のようになる。
[box class=”box2″]私が自分から野球を見るようになったのは小学校に入ってからです。
クラスの友人にも野球好きが多かったです。
当時の子供の人気スポーツが野球だったからです。
私は今でも野球が好きです。[/box]
語尾を変えてみる。
内容がないのは相変わらずだが、少し読みやすくなっていないだろうか。
[box class=”box2″]私が自分から野球を見るようになったのは小学校に入ってからです。
クラスの友人にも野球好きが多くいたのです。
当時の子供の人気スポーツは野球でした。
私は今でも野球が好きです。[/box]
同じ語尾が連続すると、文章が単調になりがちなのだ。
語尾を統一する
一方、あえて同じ語尾を連続させることがある。
[box class=”box2″]
私は、今宵、殺される。
殺される為に走るのだ。
身代りの友を救う為に走るのだ。
王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。[/box]
こちらも『走れメロス』からの引用だが、「走るのだ」が3回続いている。
その繰り返しが人の心に響いて、メロスの高揚感を伝えている。
このように同じ語尾の連続は、読み手の心に畳み掛けるように訴え、心を揺さぶる効果がある。
まとめ
ここでは、読み手の脳にストレスを加わえない方法と読み手の脳に心地いい刺激を与える方法のうち、私が心掛けているものを一部取り上げた。
他にもいろいろな方法があるが、ここにあげたことを心がけるだけでも、読みやすい文章に仕上がるだろう。
ただ、読みやすい文章と面白い文章は別物だ。
中上健次や町田康の小説は、文章は読みづらいが、それが骨太の面白さを生んでいる。
しかし、ビジネスにおける文章など、読みやすいことが大切な場面はたくさんある。
そのときに長い文章でも一気に読ませる力があると、先方にストレスを掛けることなく、伝えたいことが伝えられるようになるので、読みやすい文章のテクニックは知っておいて損はない。
読みやすい文章を書くためのおすすめ本
私が読みやすい文章を書くために、学んだ本を紹介する。
本多勝一 日本語の作文技術
1982年出版の本だが、読みやすい文章を書くためのバイブル的存在の本だと思う。
ボリュームはあるが、この一冊があれば、文章の基本は学ぶことができる。
修飾の順序、句読点のうちかた、助詞のつかい方など、読むたびに新しい発見がある本だ。