「自分の心を殺す」とは、どういう意味か
このブログの名前は「自分の心を殺してはいけない」だ。
時々「自分の心 殺す」といった検索キーワードで訪ねてきてくれる方がいて、その方に何があったのかと心配になったりもする。
それなのに、今まで私がこのタイトルに込めた思いをきちんと整理したことがなかった。
今の思いをまとめようと思う。
「自分の心を殺してはいけない」とはどういう意味か
一言でいうと、こういうことだ。
自分の心の声を無視してはいけない
こういう表現もできる。
自分の判断・言動を他者に委ねてはいけない
具体的に、もう少し掘り下げてみる。
「自分の心」を殺すのは誰か
そもそも自分の心を殺すのは誰なのだろうか。
それは、自分と自分以外の他者(家族・友人含む)である。
自分以外の他者が、自分の心を殺す
他者が自分の心を殺すとはどういうことかというと、自分の思考や言動がその人に操られている状態のことだ。
分かりやすい例でいうと、こういった人々が「殺す人」である。
・モラハラ、パワハラ、セクハラといったハラスメントをする人
・ブラック企業における支配者
・毒親とも言われる、子供を支配しようとする親
悪気のあるなしに関わらず、恐怖、情、責任感、優しさなど、人の心に備わるあらゆる感情に揺さぶりをかけ、自分の言うことを聞くように他人を支配する人が、人の心を殺す人である。
また分かりにくい例でいうと、こういう人も「殺す人」になりうる。
・一見親切だが、おせっかいで強引で、拒否すると怒り出す押しの強い友人
・特に深い付き合いはないが、常にこちらの様子を伺っていて忠告をくれる近所の人
もし、あなたが何かを言ったりやったりしたりするときに誰かの顔色を伺ってしまうのであれば、あなたはその人に心を殺されている。
また、他者には「もの」も含まれる。
自分自身でコントロール出来ないくらい、何かに依存している場合も、心を殺されているといえるだろう。
自分が自分の心を殺す
「自分で自分の心を殺していませんか?」と言われても、人ごとのように思う人が多いだろう。
でも、「自分の心がワクワクすることを毎日していますか?」と聞かれると、答えに詰まる人が増えるのではないだろうか。
「一日の中で、ワクワクすることをしている時間と、やりたくないことを我慢してしている時間、どちらが多いですか?」と聞かれて、「ワクワクしていること!」と自信を持って答えられる人は、そこまで多くないと推測している。
自分の心がワクワクすることをしていないこと。
自分の心に我慢を強いていることが、自分が自分の心を殺すということだ。
自分で自分に制限をかけている
どうして心がワクワクすることをしないのだろうか?
「そんなことする時間がない」
「そんなことするお金もない」
「そんなことしたら馬鹿にされる」
「自分にそんなことができるわけない」
こういった制限を、自分で自分にかけていないだろうか。
「だって、本当にそうなんだもん!」
そう思っても、そう思っているのは自分自身と、自分を支配している人だけだったりするのだ。
この制限が外れれば、心がワクワクし、生き返る。
心がワクワクすることが何か分からない
長い間、自分で自分に制限をかけていると、心が何にワクワクするかがわからなくなる。
「だってワクワクしても、全然実現してくれないし。」と、心が拗ねてしまうのだ。
この場合、心を生き返らせるには、まずは自分の心と向き合って、拗ねた心を温めるところから始める。
自分の心を自分の手に取り戻す
もし、自分の心が、他者か自分かに殺されていることに気がついたら、自分の心を自分の手に取り戻そう。
・自分が、自分の心のワクワクを大事にすること。
・自分の心、自分の感性が語りかけてくることに耳を傾けること。
・他者のためではなく、自分のために時間とお金を使うこと。
こういったことを続けると、自分への自信に繋がる。
そうすると、他者に左右されることがなくなり、自分の心を自分の手でガッチリ掴むことができるのだ。
このブログについて
こういう私も、ブラック企業で、自分の心をガチガチに支配されていた人間だ。
しかも、自分でも自分に制限をかけていたため、自分のワクワクがつい最近までわからなかった。
今、私の心を私の手に取り戻そうとしている最中だ。
このブログのタイトル、「自分の心を殺してはいけない」は、もう二度と自分の心を他人に支配させたりしないぞという、私の決意でもある。
私が心を殺されていた時代の話、心を取り戻す過程の話、私の心がワクワクするときの話、そういった話をこのブログで書き綴っていきたい。
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