流れていく情報と、ずっと留まる思いと
先日、人気女優と人気男性ミュージシャンの結婚が発表された。
それとは直接の関係は全くないのだけど、ちょっと思ったことがある。
関心を持っている?持っていない?
私はtwitterのアカウントを2つ持っている。
一つはこのブログを開設したときに作ったアカウント。
もう一つはもう10年以上使っている、趣味の野球情報を知るためのアカウントだ。
女優と男性ミュージシャンの結婚の発表直後、前者のアカウントは泣き顔の絵文字や「今日はもう仕事しない!」と嘆く声が並び、その間にちょこちょこと「有名人の結婚くらいでいちいち騒ぐ人なんなの?」と呻く人の声が並んだ。
一方、野球用のアカウントは贔屓球団のファンの反省会で埋まっている。こちらは女優たちの結婚の話なんて全く流れてこない。情けない負け方をしたので、それどころでは無いのだろう。
最初は、この2つの世界を興味深く感じただけだった。
誰かにとっては仕事をする気が(冗談であったとしても)失われるほどの事態が起きても、他の人は全く別のものに夢中で気が付かないというのはよくあることだ。
人の興味は人それぞれだ。
でも、ふと思った。
前者のアカウント上には「有名人の結婚なんて自分に関係ないしどうでもいい」とわざわざ言う人も出てきている。自分にとってどうでもいいことでも、周囲が騒いでいるなら一言言わないといけない気持ちになるらしい。
強制的に関心を持たせられているようだ。
逆に野球用アカウントの世界では話題にすら上がっていないが、全員が全員あの結婚話がどうでもいいかというと、それもまた違う気がする。何も言わなくても内心はざわついている人だっているはずだ。でも周囲が無関心だから、わざわざ話題を持ち出しにくいのだろう。
このズレは、有名人の結婚という他愛もないめでたい話だから笑って見過ごすことができるけれど、でもあらゆる話題において当てはまることだ。
大切なことは、なかなか話せない
世界は、自分の目に映るものでできている。
目の前にあっても、意識を向けなければ視界に入ってこない。
けれども、怒涛の量で目の前に流れて来たら、興味がなくても目に入る。
あまりに度を超えた量が流れてくると、興味がない人でもわざわざ「興味がない」と言いたくなるほどに、心に入り込んでくる。
逆に、どんなに重要なことであっても、視界に入ってこなければ無かったことになる。
そして、本当に大事なことこそ、人の視界に触れさせることに躊躇いを感じないだろうか?
どうでもいいことならいくらでも軽口が叩けるのに、大事なことは表に出しにくい。
もし思い切って話しても、誰の耳にも届かずにスルーされるのが怖い。
相手に大事さが伝わらずに軽んじられるかもしれないと思うと、それなら言わない方がマシだと思ってしまう。
そうやって誰にも言えないまま無関心さに埋もれてしまったものの中に、本当に大切なことがいくつあるのだろう?
どうでもいいことなら、いくらでも話せるのに。
周囲が強い関心を持っているならどうでもいいことでも口を挟まずにはいられないのに、大切なことだけがどうしても言えない。
流れ行くもの、残るもの
あれから数日経って、あの2人の結婚話が話題に上ることが無くなってきた。
川に流される葉っぱのように、また違う話題が浮かんでは消え、次々に流れていく。
そんな中でも、誰にも言えない気持ちは、流れていかずに川の底に留まる。
表面をいくらいろいろなものが流れていっても、同じところにずっとある大切な思い。
日々の忙しさと向き合っているうちに、自分でも目を向けることを忘れてしまいがちな思い。
目の前を怒涛のように流れる情報に目を奪われて、自分の大切なものを見失っていないだろうか?
どうでもいいことに意識を向けることで、誰かの大切なものを見過ごしていないだろうか?
多くの情報が流れる川から一歩離れて、自分を振り返ってみようと思った。
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