識字率の低さの影響。今この瞬間をしのぐことで精一杯にならざるを得ない
大学時代に所属していた研究室がアフリカに縁があり、教授たちはよくアフリカに行っていた。
興味深かった話の一つに、教育の話があった。
識字率と教育について
アフリカにはまだまだ識字率が低い国がある。
読み書き計算ができないということは、本が読めないため知識を得られなかったり、計算ができないため買い物がうまくできなかったり、そういうことだと思っていた。
もちろんこれらも問題だが、驚いたのが、文字の読み書きができないと思考が深まらないということだった。
文字が読めないと起こる影響
文字が読めないと、当たり前だが書くこともできない。
文字が書けないと、自分が経験したことや考えたことを書き留められないため、いずれ忘れてしまう。
そうすると、過去の経験を活かすことができない。
過去を活かしていないのだから、今していることを未来に残そうという考えもない。
過去は活かせず、未来が視界にないとすると、今この瞬間だけが全てになる。
自分の記憶にある範囲が世界の全てになるのだ。
この場をしのぐことだけで精一杯で、思考を深めたり広げたりするという考えに思い至ることすら難しい。
文字の役割
文字とは外部ストレージなのだ。
文字を使うと、今までの経験や知恵を貯めておくことができる。
誰かが書き残したことを読めば、自分が経験していないことでも、自分のものとして活かすことができる。
自分の経験を自分で活かそうと思えば、なぜこういうことが起きたのかを深く考えるようになる。
自分の経験を誰かに活かしてもらおうと思えば、なぜこういうことが起きたのかを詳細に突き詰めるようになる。
文字という外部ストレージを持つだけで、思考回路が変わってくるのだ。
知識は財産だ
使っても使っても減らない財産があれば、誰だって欲しいだろう。
そういう財産が、実はある。
知識だ。
知識は、誰かに奪い取られることはない。
しかし、人に分け合うことができる。
しかも、いくら分け合っても減ることはない。
それどころか、分け合うと、その相手の知識と相まって、更に知識が増えていく。
知識はとても価値の高い財産なのだ。
ただ、世界には、目の前の貧しさに対応するために、幼いながらに労働に出されている子ども達がいる。
国際労働機関(ILO)の推計によると、2012年のデータだが、1億6800万人もの18歳未満の子供達が教育を受けられない状態で働いているそうだ。
この子ども達が作ったカカオが我々が食べるチョコレートとなり、この子ども達が作ったコットンが我々が着ている衣服となり、この子ども達が採掘した希少金属が、我々が手にする携帯電話になる。
教育を受けていなく、文字という外部ストレージが使えないため、過去の経験が活かせず、働いても働いても収穫量は上がらない。
自分たちの作物の価値を数字で表すことができないため、不当に安い値段で買い叩かれる。
貧しいから教育を受けずに働いているはずが、実際は、教育がないことが貧しさの原因なのだ。
しかし、未来が視界にないと、貧困の連鎖が起きていることにすら、気づくのが難しくなる。
児童労働問題に取り組むNPO
私の話になるが、ブログを始めてから、何年も連絡を取っていなかった友人と連絡を取り合う機会が増えた。
そのうちの一人、SNS上で再会した小学校の友人が、ACEというNPO法人にて児童労働問題に取り組んでいることを知った。
「自分の心を殺してまで不当な労働をする人を無くしたい」という私の漠然とした思いを、彼女の活動は、きちんと形にしているものである。
私にできることは、ささやかだ。
それでも、遠く離れた場所にいても、ささやかながらでも、一人でも多くの人が意識をその方向に向けることが、変化の始まりになると考えている。
冒頭の写真は、ACEから支援者に向けて送られた報告書と、森永製菓と協働で作られた、支援している地域のカカオで作られたチョコレート。
私はカカオの産地を味わい分ける舌は持っていないが、そのカカオを作る人が尊重されているチョコレートだと思うだけで、特別な味がする。