東日本大震災の夜、仙台ではたくさんの流れ星が見えた~「星空とともに」
2011年3月11日。
未曾有の地震と津波が東北地方を襲った日。
仙台では、それまでにないほどのたくさんの流れ星が見えたらしい。
西公園のプラネタリウム
仙台に西公園と呼ばれる広大な公園がある。
かつて西公園には市民図書館があって、本が好きな母親は幼い私を連れて西公園に通いつめていた。
西公園には仙台市天文台のプラネタリウムがあった。
季節が何度変わっても、プラネタリウムの始まりは一緒だった。
まず仙台の街並みが映しだされる。
だんだんスクリーンが暗くなっていき、ビルに明かりが灯りだす。
その日の夜空がぼんやりと浮かび、星が瞬き始める。
ナレーションが入る。
「街の明かりで、暗い星は見えません。もし街に明かりがなかったら、どういう夜空になるでしょう。」
そしてビルの灯りが全て消え、こぼれ落ちそうなほどの星が映しだされる。
「星空とともに」
仙台市天文台が作った「星空とともに」というプログラムが日本全国で上映され続けていることを知ったのは2016年のことだった。
2011年3月11日の仙台の星空をテーマにしたプログラムだそうだ。
2011年3月11日
プラネタリウムは、30年前と同じように、仙台の街並みを映し出すところから始まった。
30年前と同じように、だんだんスクリーンが暗くなっていく。
しかしビルに明かりは灯らない。
そのまま街は闇に包まれていき、やがて、こぼれ落ちそうな数の星が映しだされた。
街の明かりのせいで、暗い星はプラネタリウムでしか見ることが出来ないはずだった。
しかし、あの日の夜、その星空が仙台の上空に現れたことをナレーションが告げる。
あの日、仙台は吹雪に見舞われた。
ひたすらに寒い夕暮れ。
そして、夜が更け、雪は止んだ。
灯りを失った街の上空に、満天の星空が広がった。
足元は見たこともない悲惨な景色。
天空には見たこともない美しい星空。
その光景に自然の残酷さを思う人。
たくさんの星たちを見て、無邪気にはしゃぐ子供達。
この星空が人生の最期に見た景色かもしれない、と死者に思いを馳せる人。
この星を道標として、大事な人が迷わず天国に着くようにと祈る人。
ラジオから聞こえる「あと◯時間で夜があけます、がんばりましょう」の声。
星以外に何も見えない空の下で、たくさんの人のたくさんの想いがあった。
仙台ではそれまでにないほど、たくさんの流れ星が見えたらしい。
大災害の翌朝は、放射冷却現象で、とてもとても寒かったらしい。
一年後・2012年3月11日
プログラムが終盤となり、あの日から一年後の2012年3月11日という日付が映し出された。
ビルに明かりが灯った。
夜空が随分と明るくなった。
時が進み、星が動き、空が明るくなり、太陽が昇る。
時計は2012年3月12日の朝を示している。
この終わり方も私の幼い日の頃と変わらない。
ただあの時と違うのは、星の数が段違いに少なくなっていることだ。
漆黒の闇を経験した街は明かりを取り戻した。
私の幼い日の思い出よりも、街は明るい光を放っている。
人は強い。
泣きながら、祈りながら、立ち上がり、生きていく。
でも、どんなに街が明るくなっても、あの満天の星空を忘れることはないだろう。
たくさんの悲しみと、祈りと、星たちを、胸に抱いて、人は生きていく。
今も「星空とともに」が上映されています
今も日本のあちこちで、仙台市天文台が作成したプログラム「星空とともに」が上映されています。
あの夜の満天の星空と、立ち上がる人の強さを、どうか見て欲しいのです。