「幸せ」とは「希望」があること
幸せって順風満帆なこと?
かつて自分を不幸だと思っていた頃、幸せとは「全てが順風満帆に進んでいること」だと思っていた。
でも多くの人がいる世界で生きているのだから、 全てが自分の思い通りに順風満帆に進むことなんてありえない。
思い通りに物事が進まなくて悄然としたり、 思いもよらなかった事件が起きて愕然としたり。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。」と考えて涙が止まらなくなったり、 「あの時ああしていれば。」と考えて自分を責めたり。
そんな眠れない夜を幾晩も過ごして、焦っては落ち込み、落ち込んではふさぎ込む。
でも、いつからだろう。
いつからか、眠れない夜を幾晩も過ごしても、鏡の中の自分が泣きはらした目をしていても、それでも自分が幸せだと思えるようになった。
それは、きっと、「明日は今日よりもいい日に違いない。」と確信が持てるようになったからだ。
何の根拠もない確信だ。
今抱えている問題は、どれも一晩眠っただけで解決するような簡単なものではないことは知っている。
それでも、明日はいい日になると思っている。
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自分を不幸だと思っていた時、「明日」が来るのが憂鬱だった。
楽しいことなんて一つもなくていいから、ただただずっと眠っていたいと思っていた。
明日がどうなるかなんて、いくら考えても分からない。
今日よりひどい明日が来るかもしれない。
それでも「明日はいい日だ!」と思っていられる限り、明日が来るのが楽しみで、明日が来るのが楽しみなら、幸せでいられる。
「幸せ」とは「希望」は、もしかしたら同じ意味なのかもしれない。