インターネットが普及したからこそ、必要となるリアル
どんなにインターネットが普及しても
20年前にはインターネットのない生活を送っていたはずなのに、今はインターネットのない生活は考えられない。
旅行の手配も買い物も、インターネットに依存している。
遠くに住む友人ともチャットですぐに繋がれる。
自分の思うことをこうやってブログに書いている。
かといって、生活の全てがインターネットに置き換わるかというと、そうでもない。
リアルであること
ママカフェ
ママカフェというのを聞いたことがある。
認定こども園に併設されていて、小さい子供を遊ばせる傍らでママがお茶を飲めるらしい。
ママの息抜きだけではなく、情報交換の場としても機能しているそうだ。
インターネット上にも情報はあふれているけれど、それが自分の子供に当てはまるか分からないときもある。
しかし、ここではお互いの子供を見ながらの情報交換なので、より子供にぴったりの情報をやり取りできるらしい。
インターネットの弱点
ママカフェで、実際に子供を見ながら情報のやり取りができるのは、人間の五感を使ってその子のことを見ることができるからだ。
インターネットの弱点は、五感をフル活用できないことである。
どんなにデジタル音源が普及しても、レコードでしか味わえない音がある。
どんなに電子書籍が普及しても、紙の本でしか味わえない感触がある。
それと同じで、どんなにインターネットが普及しても、直接会うことでしか得られない情報もあるわけだ。
リアルの場の強み
リアルの場に生まれる空気感
リアルの場だからこそ生まれる空気を先日たっぷり浴びてきた。
週末に参加したとあるイベント。
何人かが自分の経験を発表した。
登壇者が前に立つ。
会場には50人ほどいただろうか。その一人一人の顔を見ながら、自分の思いを伝えていく。
登壇者の思いがエネルギーを生み、そのエネルギーが聴衆に伝わる。
エネルギーは聴衆の心を揺さぶり、その心の動きが新たなエネルギーを生む。
聴衆が発するエネルギーが、隣の人に伝わり、さらに隣の人に伝わり、お互いがエネルギーの交換をする。
そして、こうやってあちこちから発生したエネルギーが会場に満ち溢れ、ある人は涙を流し、ある人は力を得る。
空気が熱を持ち、膨れ上がり、パワーを生むのを、その空気のど真ん中で感じていた。
空気が持つ力
面白いのが、このイベントの参加者の私を含めたほぼ全員が、主催者とインターネットを通じて知り合った人なのだ。
私の友人も何人もこのイベントに来ていたが、やはりほぼ全員がこのブログを通じて知り合った方である。
私がこのイベントに参加したのは、普段はインターネットを通じて繋がっていても、リアルで会う場も求めていたからだ。
その理由は、このエネルギーの交換にある。
一人でパソコンに向かう時間も悪くはないけれど、回線の奥にいる人と同じ空気を共有したい。
エネルギーを受け取り、渡し、熱を持った空気を肌に纏いたい。
直接肌で感じたことは、深く心に刻まれる。
それがこの先歩き続けるための力になる。
どんなにインターネットが普及しても
どんなにデジタル音源が手軽に手に入るようになっても、ライブの場に足を運ぶ人がいるように、この先、どんなにインターネットが普及しても、人と人が対面することの大切さが薄れることはないだろう。
むしろ、一緒に手を動かして何かを作り上げていく場など、一緒に一つの空気を作る経験が、さらに求められるようになる予感がある。
そして、こういった場を用意できる人や、こういった場でエネルギーをまず提供できる人(この場合だと登壇者の方々)の存在の重要性がどんどんと増していく。
そういう世の中に向かっている感覚がある。