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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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天職の見つけ方は心の動きがポイントかもしれない

天職を見つけたい人は多いと思う。
でも、どうすれば出会えるのか難しい。

好きを仕事に。と言う人もいるけれど、否定する人もいる。

既にもう出会っているけれど、気づかないだけ。なんて言う人もいるけれど、気づかないまま一生が過ぎてしまったらどうしよう。

そう考えていた私だが、もしやこれが天職との出会いのポイントではないか、と気づいたことがある。

目次

「好きを仕事に」の罠

好きなことを仕事にするといい、と、一度は聞いたことがあると思う。
同時に、好きなことは仕事にしてはいけないとも聞く。

いったいどちらが正しいのだろう。

私の場合

私の趣味は野球観戦。
No Baseball, No Life.と真剣に思っているほど、野球が好きだ。

過去に一度だけ、野球を仕事にしようか真剣に悩んだことがある。
宮城県に東北楽天ゴールデンイーグルスが生まれるとき、立ち上げスタッフの募集があったのだ。

故郷を愛する宮城出身者で野球好きの私にぴったりの仕事に思えた。
悩みに悩んだ。
結果として、応募はしなかった。

好きなことを仕事にできるチャンスではあるが、応募しなかった理由が「楽天の職員になったら、楽天戦以外の野球の試合を見られなくなるなあ」と思ったからである。

今振り返っても、この選択は正しかったと思っている。

好きを仕事にの「好き」とは

私は野球が好きだ。
それでは、野球の何が好きなのだろうか。

私は、野球場で野球を見るのが好きだ。
平日、仕事が終わり、球場に駆けつける。
カクテルライトの中、ビール片手に声援を送る。
仕事からの開放感で心が満たされる。

そう、私は、仕事から開放された喜びを味わいたくて、野球を見ているのだ!

もし私がこのことに気づかずに野球を仕事にしていたら、仕事から開放される場がなくなって不幸になっていただろう。
好きなことが、仕事とプライベートの切り替えに使われているのだったら、「好きを仕事にしてはいけない」が正しいのだ。

※正確に言うと、私はビールが苦手だ。
一番の好物は神宮球場のクリスタルサワー。
フルーツジュースを凍らせたものに氷結を注いで作るサワーは、いくらでも飲めてしまいそう。

天職への糸口

それでは、仕事にしていい「好き」とは何だろうか?
好きなことを仕事からの開放に使っている人は、天職に出会えないのだろうか?

心が動くとき

今の私は、天職とは、「自分の心が動いて動いてどうしようもないこと」だと思っている。

冷静にいたいと思っていても、心が動いてどうしようもないときがないだろうか。
心が敏感に反応して、じっとしていられないときだ。

ワクワク。
ザワザワ。
モヤモヤ。
イライラ。

こういった気持ちで心が一杯になるとき、それが天職との出会いなのだと思っている。

例えばでいうと

例えば、先程の野球の例で行く。

もし誰かが私に「野球よりもサッカーの方が好き」と言ったとする。
そのときは、「サッカーの戦術を見てるのも面白いよね。常に動きがあるから、見ていて飽きないよね」と思う。
野球を見る喜びは私個人のものなので、否定されても「そういう人もいるよね」で終わる。

そのときに私が「いやいやいやいや、野球のほうが面白いでしょ、だって…!」と熱弁を振るわずにいられないのだったら、話は別だ。
野球の魅力を知らない人がこの世にいることに心がモヤモヤして相手に語ってしまうのだったら、野球の魅力を伝えることが天職となっただろう。

この場合、前者の私も後者も一般的には「野球好き」と認識されるが、野球を仕事にして幸せなのは後者だろうし、野球を仕事にする場合も野球の魅力を伝える仕事であれば天職になるが、球団経営ではつまらないかもしれない。

もう一つ例を出す。

作業をしている時に、頼んでもないのにいろいろ教えてくれる人がいる。
逆に、人がやっている作業を見ていて「ここはもっとこうすればやりやすくなるのに」と気づいてしまって、教えようかどうしようか悩む人もいる。

そういう人は、教えることを仕事にしてしまうといいかもしれない。
自分がどういう時に口を出さずにいられないかを分析して、仕事に活かすといいだろう。

天職に繋がる心の動き

「好きを仕事にする」というのは、心が動くときの1つのパターンなのだと思う。
好きすぎて、じっとしていられない。
何かをせずにいられない。
そうであれば、好きを仕事にしても問題ないだろう。

必ずしも好きではなくても、お節介をせずにはいられないとき、余計なお世話と思ってもじっとしていられないとき、この心の動きが天職に繋がるのだと思う。

それを仕事に活かすことで、天職が見つかるのだと思う。

動くに動けない今このときでも、自分の心の動きを見つめることはできる。
今後の準備を何も考えられなくても、自分を見つめることができればそれでいいとも思う。

もう一度、私の場合

こういうことを思ったのは、私自身の怒りのパターンに気がついたからだ。

私のイライラ

コロナ報道とそれに伴うSNSを見ていた。
お湯を飲めばいいとか、トイレットペーパーの買い占めなどは、冷ややかに踊らせれずに見ていたのだが、怒りを感じる投稿もあった。

例えば、「お肉券」「お魚券」に対し、ただひたすら怒り、罵倒している投稿。
マスク2枚配布に対し、ただひたすら怒り、罵倒している投稿。
直近で言うと、大阪の図書カード配布に対し、「本屋に行くのは危険だろ!」という投稿もあった。

結論だけを表面的に見れば、変な施策や危険な施策に思える。
しかし、政府の人々が考えて出した結論なのであれば、何か裏に理由があるはずだ。
(図書カードに関しては、今の図書カードはネット通販でも使える)

その理由を聞くことができれば、「その考え方では、ここが弱いと思う」と前に進むための建設的な話し合いができる。
「なんで今このタイミングで図書カード?」と冷静に質問できれば、図書カードはネット通販で使えるという情報も手に入る。
しかし、その理由を聞くことなく、怒りで罵倒してしまったら、話がそこで終わって、それ以上前に進むことはない。

私はこういった理由を伝えるのがマスメディアの役目だと思う。
政治家自らが国民全員が背景を理解するまで説明していたら多くの政策が止まってしまうため、広報の手段を持っている大手マスメディアがその役目を担うべきだと考えている。
だが、実際は、テレビや雑誌といったメジャーなメディアの中には一緒になって表面的な政権批判に終始しているところがいくつかあった。

この一連の流れに、うんざりし、イライラとした。

イライラの原因

自分のイライラの原因を深堀りしてみた。

私は、この「知らないまま、怒りで罵倒すること」は、とても無駄なことだと思う。

理由を知らず、調べることもせずに、怒りで罵倒している人は、主観的に表面を見て怒っているのだろう。
理由を聞けば納得することもあるかもしれない。
もしその政策に対し伝えたい思いがあったとしても、怒ってしまうと相手に通じない。
そうしたら怒りはただの無駄な感情だ。

また怒られる側も、自分の話を聞かずに一方的に怒られるのではやってられないだろう。
そういう人の意見を取り入れる気にもならないだろう。
そうなると、やはり怒りはただの無駄な感情だ。

このすれ違いはもったいない。
怒っている人に、「これはこういう理由だよ!」と一言言いたくてたまらない。

仕事に活かせるか?

この思い、もしかして仕事に活かせるのではないかと、考えてみた。

すぐに思い浮かんだ。
会社でも同じようなことはしょっちゅう起こっている。

社長が決めた施策に反発する社員がいる。
たいてい、「社長は現場のことがわかっていない」と言う。
ただ、そう言う社員は、社長が何を見て、何を考えているかわかっていない。

しかし、社長は忙しくて、社員全員に背景が浸透するまで説明してられないだろう。
社員も、社長が説明したとしても、素直に受け入れられこともあるだろう。

そこを、橋渡しすることはできないだろうか。

社長に代わって、社長の思いを社員一人一人と膝を突き合わせて話す。
そこで社員の思いを聞いて、社長に伝える。

そうやって会社を一つのチームにまとめる仕事ができないだろうか。

実は、こういう仕事は以前やったことがある。
というより、私が求められていた業務の核となるのがこの会社内での、経営陣と社員の間の通訳業務だった。

これは言ってみれば、社長と社員双方に、それぞれの固定観念に気づいてもらうことかもしれない。
相手の固定観念を受け入れられるかどうかは別として、自分と違う考え方をする人がいると知るだけでも、だいぶコミュニケーションは変わってくる。
そして、それは、私のストレングスファインダーの個別セッションでやっていることと同じだ。

これまで自分がやってきたことと、自分の思いが一致していたことに、あらためて気づくと同時に、心の動きが天職を教えてくれるのかもしれないと気づいたのだった。

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