『青春ピカソ』有名人の息子の太郎くんが、岡本太郎になるまでの道
『青春ピカソ』というタイトルのこの本は、昭和28年(1953年)発行の本だ。
それが平成12年(2000年)に文庫化され、令和3年(2021年)に私が手に取った。
私が手に取るまで3時代約70年の月日が経っているけれど、そこに書かれていることに全く古さは感じず、私の心を震わせた。
『青春ピカソ』
この本は、岡本太郎がピカソについて書いた小品文がまとめられている。
内容は、私の読んだ感想であるが、大きく3つに分けられる。
太郎くんが、岡本太郎になるまで
この本の最初に収められた十数ページの『ピカソ発見』という章が、私の心を鷲掴みにした。
ここには、岡本太郎が留学先のパリで、迷い、藻掻き、苦しみ、そこから自分の道を見つけるまでが書かれている。
岡本太郎は、「総理大臣の名は知らなくとも、岡本一平の名を知らぬ者はいない」とまで言われたほどの人気漫画家である岡本一平と、独特の風貌とスキャンダラスな生活で知られた歌人岡本かの子の息子である。
有名人の両親に加え母の愛人までもが共に暮らす風変わりな家で育つ息子が、どれだけ世間の注目を受けたであろうかは容易に想像ができる。
太郎は、こう書いている。
『芸術家として名を成した両親を持つ者が、対世間的にも自分自身にも常に高いレベルを保持しなければならない宿命を苦々しく嘗めたのである』
ところで、芸能人の子供が親の存在を隠してデビューすることが美談として語られるが、私はその風潮に疑問を持っている。
親の七光りを受けられるなら、受ければいい。
下駄を履かせてもらって高いところからスタートをし、そこから更なる高みを目指せばいい。
なぜその恩恵を受けずに、一般人と同じところからスタートしようとするのか。
親が有名人で下駄を履かせてもらったなら、その分、注目されてしまう。
少々上手くやったとしても「親のおかげ」と言われ、下手なことをやれば「親に比べて子供は」と馬鹿にされる。
そう、有名人の子供が世間に認めてもらうには、親を超え、はるかな高みに登る必要がある。
実際にそれを成し得た人はほとんどいない。
周囲にお手本がいないまま高みを目指す道は、とても孤独なものになる。
一方、親の名前を隠してスタートすれば、目立つことはない。
失敗しても誰にも気づかれないが、人並みに上手くやれば褒められる。
ゼロからスタートをして自分の道を掴んだ人は大勢いる。
周囲にお手本がたくさんいる中で歩んでいける。
親の恩恵を受けると、スタートが楽になると誤解されているが、逆だ。
実際は、道は厳しく険しくなるのだ。
有名人の子供がその道を選ばなかったことを責める気はない。
でも、あえて険しい道を選んだ人がいるならば、その勇気を応援したい。
だから、親の名前を隠して人並みの道を選んだ人のほうが称賛される風潮に疑問があるのだ。
話を戻すが、岡本太郎は、親の恩恵を存分に受け取る道を選んだ。
そもそも昭和4年に、一般人がフランスへ行ける訳がない。
太郎は、朝日新聞の特派員としてロンドン軍縮会議の取材に出かける一平と共に家族(母の愛人を含む)でヨーロッパへ向かい、そのままパリに一人残り、留学生活を開始した。
太郎は、パリ留学の幸運の裏側にある重圧とともに、自らの進む道を探し始めたのである。
岡本太郎が自分の道を見つけるために何をしたかの解説は本書に譲るが、その糸口を見つけるまでに3年近くを費やしている。
そして、その糸口を手繰り寄せ、試行錯誤を重ね、自分のものにするまでもまた数年を費やしている。
その道は時間を掛ければ見つかるものではない。
太郎が自分の道を見つけるきっかけとしてセザンヌとピカソの絵画があるのだが、その絵画を見るまでに様々な経験を積み重ねながら自分と向き合ってきたからこそ、絵画がきっかけとなって道が開いたのだ。
道を見つけるまでの苦悩と、見つけた時の喜びが、生々しい言葉で伝わってくる章だった。
太郎のピカソ論
ここが一番ページを割かれているので、この本の主題なのだろうと思う。
岡本太郎による、ピカソの絵の解説と、日本の芸術界への提言が書かれている。
きっとピカソの絵について知りたい人にとっては、ここが一番面白い部分だと思う。
私は太郎について知りたくてこの本を手にしたせいで目が上滑りしてしまったので、多くは語らないでおく。
太郎とピカソの出会い
最後は、40代前半の岡本太郎がピカソと対面した時の話が書かれている。
自分が憧れている人や好きな有名人に会ったときに、舞い上がった挙句に会話を一字一句記録したくなる衝動に駆られないだろうか?
私は駆られる。
実際、元メジャーリーガーで阪急ブレーブスにも在籍したバンプ・ウィルスに出会った時と、X-JAPANのYOSHIKIに出会った時のことは、ブログにまで書いている。
※バンプ・ウィルスに会ったとき
※YOSHIKIに会ったとき
どうやら岡本太郎にもそういう気持ちはあるようで、ピカソと対面した時の会話がこと細かに書き残されている。
ピカソに会う前の緊張感、実際目の前にピカソが現れた時の息を飲む様、そこから距離が縮まっていく喜び、そういった太郎の心の動きが文章から伝わってきて、あの太郎も人間なのだと微笑ましくすら感じる。
(そうは言っても、人間嫌いのピカソの心を掴むのだから、やはり岡本太郎は只者ではない)
この章の最後は、岡本太郎がピカソの展覧会を見に行った感想で終わるのだが、人間・岡本太郎と芸術家・岡本太郎の想いが垣間見えて、非常に興味深かった。
あらためての感想
これまで岡本太郎の著作を何冊か読んだが、太郎の哲学について書かれた本ばかりを読んできたので、太郎について確固たる信念を持つ強い人という印象を持っていた。
己を見失うことなく、真っ直ぐに歩んできた人だと感じたのだ。
その印象に間違いはないと思う。
でも、太郎が自分の道を見つけて歩き出すまでには、苦悩や迷いがあったのだ。
太郎が生まれながらに強く持っているように見えた太郎の道は、いつ見つかるかわからないまま求めて彷徨い、やっと見つけたものだったのだ。
自分の道を求めるものは、自分の道が見つからずに思い悩むのだ。
自分だけが見つけられないのではない。
その苦悩を味わい、自分と真剣に向き合う日々があって、初めて見つかるものなのだ。
それを知ることができたのが、大きな学びだった。