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しずかみちこ
Gallup認定ストレングスコーチ
ストレングスファインダー(クリフトンストレングス)の専門家として、個人やチームが「強み」を活かして最大の成果を生み出すためのコーチングと研修をしています。

リクルートスタッフィングで経理したり、レアジョブの管理部門立ち上げたり、ブラック企業に入ったり、上司の横領見つけて辞めさせられたり、人の会社2つ作ったりと波乱万丈な職歴の後、独立して今に至ります。

投資と経理スキルでお金をデザインし、ストレングスファインダーで強みを活かしたら、人生が楽しくなりました。

趣味は野球観戦と美味しいものを食べること

収集心・最上志向・戦略性・未来志向・分析思考
ストレングスファインダーのnote
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東日本大震災・原子力災害伝承館は双葉町に行くなら必ず訪問して欲しい場所

双葉町訪問記の続き、東日本大震災・原子力災害伝承館&双葉町産業交流センター編。

目次

東日本大震災・原子力災害伝承館

双葉町唯一の観光施設といえるであろう、東日本大震災・原子力災害伝承館に到着した。
その名の通り、東日本大震災と、それをきっかけに起きた福島第一原子力発電所の事故について伝えるための施設だ。

お盆休みということもあって、私以外にも10人ほどの来館者がいた。

東日本大震災・原子力災害伝承館の全景

600円の入館料を払う。
すぐに館内を見て回れるのではなく、まずは映像を見るように求められる。

5分ほど待って、他の入館者の方たちと映像を見た。
その後、奥の展示スペースへ案内された。

なぜ最初に映像を見ることを求められたかはすぐに分かった。
伝承館の人がガイドをしてくれるのだ。

1.事故前の暮らし

まず最初は、事故前の双葉町の様子が展示されている。
ごくごく普通の日常にどのように原発が関わっていたか、両者が私の想像以上に密接に共存していたことがよく分かる展示になっている。

下記の写真にある看板は、商店街の入口に付けられていたもの。
この標語は双葉町の小学生が考えたものだった。

昭和の匂いがするが、原発事故時点でも現役だった

2.原子力発電所事故直後の対応

次のコーナーでは、原発事故について詳細に展示されている。
あのとき、現場では何が起きていたのか。
誰がどのような対応をしていたのか。

ガイドの方の話が素晴らしかった。
あの事故は、結局何が原因で何が起きたのかを、模型を使いながら分かりやすく説明してくださった。

当時の記憶はあるが、「水素爆発」「メルトダウン」という聞き慣れない単語がニュースを賑わし、デマだの陰謀だのという風説も世間を賑わし、結局何がなんだか分かっていなかった。
そこを時系列で事実だけを説明してもらえ、ようやく何が起きていたのかを理解することができた。

原発に賛成するにも反対するにも、あの事故のことを知らないまま意見を述べるのは無責任になってしまう。
推進するには、同じ事故を起こさないだけではなく、この先いかなる事故も起きないように考えることが必要だし、反対するにも、感情論だけの過剰な反対ならば何も生まれない。
私はここに来るまで、事故についての全容をきちんと把握していなかったと反省をした。

福島第一原発の全体模型(の一部)

3.事故に対する国内外の想い

原発事故について、国外ではどのような報道がされていたのか。
そして、当事者である福島の方はどのような思いでいるのかも展示されていた。

私は宮城出身なので、津波の被害にあった方の話を聞く機会は身近にあったが、原発事故の被害はまた違うものだった。
家は地震で傷んだ部分はあれどそのまま残っているのに、こうなるとは思わずに着の身着のまま家を出て、二度と帰れなくなってしまった人たち。
春休みが終われば友だちに会えると思っていたのに、バラバラになってしまった子どもたち。
現状を受け入れて歩き出す、強い眼差し。

海外から届いたメッセージも多数展示されていた。

下記はウクライナの子供からのメッセージ。
11年前にこの絵を描いてくれた子どもたちは、今、戦場にいるのだろうか…。

日本の友達、がんばってね、とメッセージが添えられている絵

4.原子力災害の事後処理

原発事故により、一瞬で人の住めない町となった双葉町だが、また住める町にするために、除染を始めとするいろいろな取り組みがされている。
また、風評被害にも長く苦しめられている。

「除染」と一言でいうが、それは気の遠くなるような作業だった。

地面の表面を全て剥ぎ取る。
土壌は2.5cmほど取り去り、芝は刈り取る。
だが、放射能を浴びた土や枯れ葉は捨てることはできない。

樹木や建物の表面は水で洗い流す。
しかし、使用した水は一滴もこぼしてはいけない。
その水には放射能が含まれているため、処置が必要になるのだ。

全てを回収し、隔離場所に保管する。
保管はすれど、その後最終的にどう処分するかは、まだ決まっていない。

除染について学んだことで、感じていた違和感の正体が判明した。
全体的に清潔すぎると感じていたのだ。
災害の後の独特な臭いもないし、人がいないことによる埃っぽさも少ない。
なぜだろうと思っていたが、立ち入ることが出来るエリアは表面を全て洗浄されているのだ。
そのため、立ち入り可能エリア全体に清潔感がある。
町の一角をまるごと洗浄するとはなかなか想像がつかないが、そこまでしてでも、住民が戻れる町にするのだという意気込みを感じられた。

5.復興への挑戦

伝承館の最後は、未来への希望で締めくくられていた。
復興に向けたこれまでの歩みと、これからの計画が展示されていた。

展望スペース

伝承館は屋上が展望スペースになっている。
良く言えば「どこまでも広い」、見たままをありのままに言えば「何もない」風景が堪能できる。

この先、復興が進めば、ここから見える景色も変わっていくのだろう。
この景色が、一番「何もない」風景であることを祈りながら、青い空を眺めた。

福島県双葉町
展望スペースからの景色
福島県双葉町
展望スペースから産業交流センターを見たところ

双葉町産業交流センター

東日本大震災・原子力災害伝承館の隣には、産業交流センターがある。
この建物の裏手には、シェアサイクルの駐輪場がある。
表口にはシャトルバスも来る。

食堂と売店もある。
双葉町内で営業している飲食物を扱うお店は、2022年8月の時点では他には無いので、とても貴重だ。
そうは言いつつ、私が到着した16時頃には飲食店は閉店していた。

売店は開いていた。
売店にはお酒やお菓子といった福島のお土産物と、水やジュースといった飲料品が売っていた。
せっかくなので、双葉町で作られたお土産物を…と一瞬うっかり考えてしまった。
住民がいない町なのに、その町で作られているお土産物がある訳ない。

だが、気になるものを見つけた。
かつて双葉町にあったケーキ屋さんのお菓子があったのだ!
「茶亭」というケーキ屋さんは、今はいわき市で「ふたば茶亭」という名で営業していて、冷凍できるお菓子を双葉に届けて売っているのだそうだ。

双葉町の子どもたちが食べていたであろうお菓子をいくつか買った。
売店の方は「このお店の方、今日の午前中に墓参りにいらしていたのよー」と嬉しそうに話してくれた。

ふたば茶亭のお菓子と福島の炭酸水

ところで、このお菓子が、とてもとても美味しかった。
田舎のケーキ屋さんと聞いて頭に浮かぶ素朴なお菓子をイメージして食べたら、裏切られた。
とても洗練された美味しさだった。
家の近所にあったら、自分のおやつに日常買いしたい!手土産にも使いたい!

アンジェリカと名付けられたお菓子は、最中皮の中にチョコレートケーキが入っているという謎の組合せなのだが、チョコレートケーキが生地は軽いのに味が濃厚で、最中皮と合わせても違和感がない。

マカロンもサクッとして、しっとりとして、いくらでも食べたくなる危険な味!

昭和カワイイ見た目なのだが、味は今どき
この原材料のシンプルさ!腕と素材への自信の現れ!!美味しいに決まってる!!!

この記事を書くにあたり、ふたば茶亭で検索したら、楽天で通販をやっているのをみつけた。
カヌレも美味しそうだ…!!
値段は通販値段になっているが、楽天にあるアウトレットマカロンには心惹かれる。
(ちなみに双葉町産業センター内で購入したものは、アンジェリカが367円、マカロンが237円だった)

下記はアフィリエイトリンクになっているので、参考までに。

必ず訪問して欲しい場所

もし双葉町に行くことがあるならば、東日本大震災・原子力災害伝承館には必ず訪問して欲しい。
2011年3月から今まで起きたことをあらためて冷静に振り返ることで、気づくことがきっとあるはずだ。

遠い町の話ではなく、遠い昔の話でもない。
事故を現実に感じることで、これまで見えなかったことが見えるようにもなるはずだ。

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