自分が空っぽだと絵も音楽も文章も役に立たない
いい絵や音楽や文章とは
いい絵、いい音楽、いい文章。
そう呼ばれるものが巷には溢れている。
でも他人がいくらいいと言ったって、それが自分に響くとは限らない。
絵や音楽や文章が自分の心を揺さぶるとき、人はそれを「いい」と判断する。
いい絵や音楽や文章は、自分の心にあるものと化学反応を起こす。
もしくは自分の心にあるものと化学反応を起こすものが、いい絵や音楽や文章となる。
どちらにしろ、自分の心の中が空っぽだと、化学反応が起きようがない。
いい絵や音楽や文章は、受け取り手の心があって、初めていい絵や音楽や文章となる。
いい絵や音楽や文章の中にあるもの
言い換えると、いい絵や音楽や文章と感じるものは、自分の心を投影しているものである。
その絵や音楽や文章の中に、自分の心と反応するものがあるから心惹かれるのだ。
絵や音楽や文章の中に散らばっている自分の心を探し出して、そっと集める。
絵や音楽や文章の力を借りて、自分の心を見つめなおすのだ。
人の器を大きくするもの
いい絵や音楽や文章の効果
生きていると、いろいろなことを経験する。
その経験を通して感じたことが、自分の心の中に積み重なって、自分というものができていく。
絵や音楽や文章は、経験を補うものでもある。
自分の心の中のとある経験にそっと寄り添い、それを違う角度から見せてくれる。
「ああ、あれはこういうことだったのか」という気づきをもたらしてくれる。
いい絵や音楽や文章は、自分の心と化学反応を起こして、心を深く豊かにしてくれるのだ。
心を深く豊かにするもの
人間の器という言葉がある。
心が深く豊かで許容範囲が大きいと、器が大きいと呼ばれるようになる。
人間の器とは、これまでにどんな経験をしてきたかで育つのではないだろうか。
不可能と思ったことに挑戦して、乗り越えたとき。
不可能と思ったことに挑戦して、挫折したとき。
自分の限界を乗り越えた経験も、自分の限界を思い知った経験も、真剣に向き合った結果であれば、どちらも心に刻まれて心を深く豊かにしてくれる。
いい絵や音楽や文章の力
しかし、人間が生きていて経験できることには限りがある。
そこを補うのも、絵や音楽や文章だ。
一見では理解できないものに向き合う。
理解できそうにないものを咀嚼して受け入れる、もしくはどんなに咀嚼しても受け入れられないと断念する、もしくは咀嚼すらできないことを受け入れる。
自分が理解できないものに対して、真剣に向き合い、その結果を受け入れる。
この過程によって、自分の心にあるものとないものを知り、心が深く豊かになる。
これを繰り返し、人としての器が少しずつ大きくなる。
おびただしい水玉を浴びたとき、そんなことを考えた。