篠原貴行の最後の投球を見届けたのは、たった2446人だった。〜2013年9月29日 横須賀にて
秋が来た
秋は野球界の別れの季節だ。
あちこちの球場で、引退試合が行われている。
しかし、こうやって引退を事前に発表し、華々しく見送られつつユニフォームを脱ぐことのできる選手はほんのわずかしかいない。
2013年9月29日
横須賀
横須賀にて行われた、横浜DeNAvs日本ハムの二軍戦。
横浜DeNAの二軍にとっては、この試合が2013年の本拠地最終戦だった。
試合は、エラーや無駄な四球がなくスムーズに進んだ。
8回表、日本ハムの攻撃。
横浜DeNAのベンチ前に選手が集まって円陣が組まれた。
通常、円陣の声掛けは自チームの攻撃の前に行われる。
しかも負けている時に選手に檄を入れるために行われるものだが、この時点で横浜は9-1と大量リード中だ。
このタイミングがずれた円陣はなんだろう、とぼんやり眺めていると、円陣が2つに分かれ、それぞれがおもむろに整列をし、花道が作られた。
そしてその花道を一人の投手が駆け抜けた。
あれは、篠原だ!
篠原貴行、37歳
篠原貴行、37歳(2013年時点)。
1997年に福岡ダイエーホークスに入団し、2009年に戦力外となる。
その後、横浜ベイスターズに拾われ、2011年に復活を遂げた左投げの投手だ。
1999年前後には「篠原が投げると負けない」とまで言われたが、その後は勤続疲労から故障がちとなり、長年苦しんでいた。
篠原にとってこの試合は、記録がかかっているわけでもなければ、大きな怪我からの復帰戦というわけでもない。
そうであれば、選手が花道で送りだされる理由は、残りの一つだ。
何も聞かされていないスタンドのファンに動揺が走る。
横浜のベンチでは選手全員が立ち上がって投球練習をする篠原の一投一投を見守っている。
ファンも涙をこらえ、精一杯温かい拍手を送る。
8回の日本ハムの先頭バッターは、大嶋。
ソフトボール部出身のプロ野球選手と話題になった選手だ。
篠原の投球は、かつては「何を投げるか分かっていても打てない」と評されたが、大嶋は軽く外野に運んだ。
このとき大嶋は、まだ一軍でプレーしたことがない。
そんな選手にあっさりヒットを打たれるというのが、今の篠原の姿だ。
篠原も苦笑いしているように見えた。
2009年に戦力外になった時は現役を続けることを希望した篠原も、今回は悔いはないだろう。
ファンの間にも、あの頃の篠原は二度と戻ってこないという現実を受け入れる空気が流れた。
次のバッターを三振にしとめたところで、篠原の引退が正式にアナウンスされた。
全盛期には三万人を超える観客を熱狂させた篠原だが、最後のマウンドを見届けたのはたまたま居合わせた2446人の観客だけだった。
こうして彼の16年間のプロ生活が終わった。
今年も10月1日が来る
例え二軍のグラウンドだったとしても、最後にファンに挨拶ができる選手は幸せだ。
辞めていく選手のほとんどは、スポーツ新聞の片隅に戦力外選手として名前が載るだけで、ひっそりと消えていく。
10月1日、戦力外通告解禁日。
淋しい季節が始まる。
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