「生きていればいいことあるよ」という言葉が恐かった日のこと
生きていれば、いいことが…
「生きていれば、そのうちいいことあるよ」
誰かが悩んでいる時に、よく言うセリフ。
まさか、この言葉を辛く感じる日が来るとは思わなかった。
心が完全に疲れ果てていたとき、「いいこと」にまで恐怖心を抱くようになっていた。
疲れ果てた心
かつて、感情を感じられなくなるほど、心が疲れ果てたことがある。
夜、ほとんど眠ることのできない日が続いた結果、身体だけではなく、心にも不調をきたしたのだ。
どうやら怒りや悲しみといった感情を押し殺し続けると、感情に気がつくことができなくなるらしい。
心の許容範囲が随分と狭くなっていた。
人から話しかけられることが億劫になり、笑うことが面倒になり、何にも興味が持てなくなる。
なにしろ、心が動くと疲れるのだ。
悪いことが起きて疲れるだけではなく、いいことが起きても疲れる。
この図のような状況で、心が許容範囲を超えて揺るがされると、それがいいことであっても耐えられない。
「生きていれば、そのうちいいことあるよ」という言葉に恐怖を感じた。
いいことも悪いこともいらない。何もない穏やかな状態にいたい。
それが当時の願いだった。
克服に向かって
心が動くと疲れるので、映画や小説も見られない。
大好きな野球でさえ、観戦するのが辛くなった。
何をするにも辛くて、生きていることさえ億劫だった。
この辛い状況から、脱したかった。
「快」と「不快」
ふと思い出したのが、かつて家庭科の授業で習った情緒の分化図だった。
人間が感情を獲得していく順番を表した図である。
生まれたての赤ん坊は「興奮」という感情しか持っていない。
その次に生後3ヶ月頃に獲得するのが「快」と「不快」だ。
怒りや恐れといった感情は、生後半年にならないと獲得しない。
感情を失ったと感じていたが、「興奮」は残っている自覚があった。
例えば、列に横入りされた時に、瞬間的にイラっとする。
当時の私は、こういった小さいことに対してイライラしまくっていた。
この反射的な感情は「興奮」という言葉がぴったりだった。
「興奮」は人間が生まれながらに持っている感情であるから、心が疲れ果てたときにも最後まで残る感情なのかもしれない。
そうであれば、次に獲得するのは「快」と「不快」だ。
「快」を感じるように意識した。
抜けるように高い秋の空をぼんやりと眺めた。
海沿いの町に住んでいたので、砂浜に座ってずっと波を見ていた。
自分がどんなときに「快」を感じるか、自分の心に注目し続けた。
最低でも1日1回は「快」を感じるようにした。
その後
1日に1回、数分間でも「快」を感じるようにしていたら、徐々に心に変化が起きた。
まず、「快」を見つけることが上手くなり、「快」を感じる頻度が増えてきた。
「快」が深まって、喜びや楽しさといった感情も生まれるようになってきた。
少しずつだが、心の許容範囲の幅が広がっていった。
半年が経ち、小説が読めるようになった。
自然と、野球を以前のように観戦していた。
ビジネス書は長い間読めなかった。
ビジネス書というものは、読んだ人が前向きな気持ちになるように書かれている。
それが辛かった。
今ここにいるので精一杯で、前向きになんてなっている余裕はなかった。
ビジネス書を読めるまで2年程度かかっただろうか。
完全に心が戻ったと思えるようになるまで、3年以上は掛かった。
最後に出てきたのが、あれをやってみたい!これに挑戦してみたい!というワクワクする心だ。
途中、焦って無理にビジネス書を読んで心を疲れさせたりしたせいで、長引いたのかもしれない。
ワクワクを取り戻すまでは、長かった…。
今は
心の許容範囲が広がって、いいことは素直に嬉しいし、悪いことにはちゃんと落ち込むことができる。
落ち込んだ後、浮上することもできる。
心の許容範囲が広がると、一時期はどんな感情よりも優先して出てきていた「興奮」が静まったのは発見だった。
なぜこんな小さなことに激していたのだろうと不思議になるほど、かつてイライラしていた横入り等が全く気にならなくなった(「やれやれ」くらいは思うが)。
もう二度と心が潰れてしまわないように、「快」は今でも折に触れて意識するようにしている。
金木犀が香ってきたとき。
川の水面がキラキラと輝いたとき。
道端で出会った猫が足元にやってきたとき。
こういう小さな快い瞬間をたくさんたくさん感じていたら、心を守れるように思うのだ。
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当時の状況を具体的に書いた記事です。
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