情報に振り回されない人になるには情報の裏側を意識することが必要
情報に振り回されていたとき
自信がないから情報に頼っていた
昔から洋服のセンスに自信がない。
クローゼットに服が詰まっているのに、着て行く服がないと溜息をついていた。
自信がないから、女性誌を買って研究していた。
毎月雑誌を見て、ある月は今シーズンのマストバイと書かれている服を買い、ある月は着回しできるという服を買った。
雑誌のお勧めを買っているはずなのに、それでも着る服にいつも悩んでいた。
あるとき好きだった雑誌が休刊になった。
雑誌を買わなくなって、しばらくして気づいた。
「あれ?服選びが楽になってる!」
情報に頼るつもりが振り回されていた
ある月の雑誌に「今年の冬の必須アイテム」と書かれているとする。
そうなのか、とそれを買っても、その必須アイテムは翌月の雑誌には載っていない。
似たようなものが載っていても、私が持っているものとは色や形が違うので、同じコーディネートはできない。
だから翌月には別のものが欲しくなる。
この繰り返しで、クローゼットには、似たような、でもうまく合わせられないアイテムが増えていた。
しかし雑誌を買うのを止めて情報が入ってこなくなったとき、自分の手持ちの洋服に合うアイテムを選ぼうと意識が変わったのだ。
それまでは、自分に自信がないので雑誌に載っているものがいいものと思っていたのだが、雑誌を買うのを止めて、ようやく自分に合うものがいいものと思えるようになったのだ。
情報の裏側にあるもの
格安・無料の情報
ファッション誌は安い。
あれだけいい紙を使って、カラー写真をふんだんに使い、洋服だけではなく、芸能も料理もいろいろな情報が載っているのに、数百円で買えるのだ。
毎月のように買っていた時は500円以下にならないものかと思っていたが、そのせいで大切なことを見落としていた。
どうして、こんなに安く雑誌を作ることができるのか。
裏側にあるものを考えたことはなかった。
格安情報の落とし穴
格安、もしくは無料の情報には、落とし穴がある。
そういった情報は心地よく出来ているので、なかなか落とし穴に気がつかない。
例えば、ファッション誌なら、この雑誌の言う通りにすれば自分がオシャレな人になれるのではという気持ちになれる。
TVのCM(無料で手に入る情報だ)を見ては、この商品があれば生活が便利になるのではと思わされる。
あのシャンプーを買えばツヤツヤの髪の毛が手に入ると思わされる。
格安だったり無料のものは、それに対してお金を出している人、広告主がいるから成り立っている。
TVCMのように広告主が直接情報を作るものもあれば、雑誌の記事のように広告主が間接的に関わっているものもある。
どちらにしろ格安王のや無料の情報は、誰かがお金を出してまで消費者に伝えたい情報なのだ。
もちろんほとんどの場合、それはボランティアではない。
明確な意図を持って行われる。
TVCMや新聞広告のように、掛かるお金が大きいほど、その意図は強くなる。
それを知らずに格安や無料の情報にさらされていると、広告主の意図に洗脳されてしまう。
広告主の意図として分かりやすいのは、消費者にお金を使わせることだ。
雑誌の美しい写真やTVCMの良さげなセリフに心地よくなっているうちに、お金を使おうという心理にさせられてしまう。
格安情報は最大公約数のもの
格安もしくは無料の情報で意識すべき点は他にもある。
格安もしくは無料の情報は、一人でも多くの人に届けるために、この値段設定になっているということを忘れてはいけない。
多くの人に届けるためには、そこにある情報は、最大公約数的な情報にせざるを得ない。
その分野に詳しい人やマニアな人向けではなく、多くの人が自分向けだと思うような情報でなければいけない。
必然的に、そこにある情報は無難なものとなる。
そのような無難な情報を取り入れていたら、自分も無難な人間になっていく。
特に嫌われもしないが、特別な面白さもない、そういう無難な人間になっていく。
面白いものは、最大公約数から外れたところにある。
面白い人間になりたければ、自分でお金を払って、無難ではない情報があるところに足を運ぶ必要がある。
例えていえば、パッケージツアーのようなものだ。
パッケージツアーを使えば、時間も値段も効率よく、誰もが見たい名所を回ることができる。
でも、誰も見たことがない特別な景色を見たければ、パッケージツアーから離れて、手間とお金をかけて自分で旅程を組まなければいけない。
旅に何を求めるかによって、パッケージツアーにするか、自己手配にするかが変わってくる。
同じく、人生に何を求めるかによって、情報の取り方も変わってくる。
情報に振り回されないように
格安もしくは無料の情報は手軽である。
だからこそ、今まで知らなかったものを気軽に知ることができるという利点がある。
しかし、その情報が何の意図をもって発信されているかを意識しておかないと、広告主の手のひらの上で踊ることになる。
意識していたとしても、興味のある事柄に対してはきちんと対価を払って情報を得ないと、無難な情報しか得られず、特別な面白さに気づかずに終わる。
情報に振り回されるのではなく、情報を利用する人になること。
そのために、情報の裏にあるものを意識する必要がある。