「誰かのためになりたい」ときにやるべき2つのこと


誰かのためになりたい、けれど

「誰かのためになりたい」
多くの人がそう願う。

「誰かのためになりたいけれど、何をすればいいか分からない」と悩む人も多い。
「誰のためにもならない自分は、この世に存在する価値がない」というところまで行きつく人もいる。

「誰かのため」は諸刃の剣

誰かのために、というと、私利私欲を抑えた素敵な言葉に聞こえる。
しかし、本当にそうだろうか?

あなたのために?

「誰かのために」だと対象が広いので、相手を「あなた」に限定してみる。
そうすると、「あなたのためを思って」という言葉には戸惑いを感じることに思い当たる。

例えばこういう言葉だ。
「そんなことして失敗したらどうするの?何もしないほうがいいんじゃない?あなたのためを思うから言うのよ。」

もしくはサプライズなどもそうだ。
「あなたを喜ばせたくて、あなたのために準備したの!」

「あなたのため」と言っても、結局は発言者自身のためである。
発言者が相手を自分の思い通りにコントロールするために使われる言葉が「あなたのため」なのだ。

相手が、自分の理解の範囲外のことをやろうとしたとき、自分の理解の範囲内に留めておくために「あなたのために忠告するけど…」と言う。
その証拠に、相手がやることに賛成のときには、「あなたのために」というセリフを使った忠告はしない。

サプライズもそうだ。
例えば、「彼氏の誕生日、彼氏が会社に行っている間に、こっそり家に上がって豪華な夕飯を作って待つ」というサプライズを仕掛けるとする。
彼氏には、「ごめんね、この日はどうしても仕事で会えない」と言いつつ、こっそり準備する。
ところが彼氏は、「この日は彼女と会えないし、一人で誕生日も味気ないし、学生時代の仲間と盛り上がろうか」と飲みに行ったりする。
深夜、家に帰った彼氏が発見するのは、冷え切った料理と怒り狂った彼女の姿だ。

サプライズがうまくいかずに怒ったり落ち込んだりするのは、相手が自分の思う通りに動かなかったからだ。
もし本当に相手を喜ばせるためにしているなら、誕生日に彼氏がかつての仲間たちと楽しく過ごせたことをも喜べるだろう。

「あなたのため」とは、「相手を自分の思う通りに動かしたい」という願いなのだ。

誰かのために?

「誰かのために」という言葉も、実は「あなたのために」と同じものである。
「あなたのために」と対象を限定するよりも、「誰かのために」の方が漠然とするため支配と被支配の関係が分かりにくくなるだけだ。
どちらも本質的なところは同じである。

「誰かのためになりたい」というのは、誰かに感謝されたり、誰かの笑顔を見たりすることで、自分の存在意義を確かめたいということだ。
なので、相手のお礼が不十分だと「感謝が足りない」とイライラしたり、相手が笑顔にならないと「何か足りなかったかな」と不安になったりする。
相手が自分の思い通りの反応をしてくれないともやもやするのは、自分の存在意義が証明されなかったため怒りや不安を感じたからである。

「誰かのためになりたい」ということは、自分の存在意義を誰かに証明させようとすることなのだ。

人は皆、誰かのためになる

人が誰かのためになってはいけないかというと、それは違う。
むしろ、全ての人が、誰かのためになるように生まれついている。

人は一人一人違う。
得意なことも、興味があることも違う。
手先が器用な人もいれば、全身を使った動きが得意な人もいれば、頭で考えることが得意な人もいる。

完璧な人間は一人もいない。
複数の人がそれぞれ自分の得意なことや興味あることを持ち寄って、ようやく完璧に近づくのだ。

だから人は、自分が得意なことや興味があることをすればいい。
そうすれば、それを必要とする人がやってきて、必要なものを必要なだけ受け取る。
「誰かのために」と先回りして何かをしなくても、自分が得意なことをすれば、それを必要とする人が必ずいるのだ。

誰かのためになりたいときにやること

人が「誰かのためになりたい」と願った時にやることは2つある。

・自分ができることを心を込めて誠実に行うこと
・自分ができることを発信すること

自分ができることを心を込めて誠実に行う

誰かのためになりたいときにやることの1つめは、「自分ができることを心を込めて誠実に行うこと」である。

人と人を繋ぐのは信頼だ。
そして人は、心が込もったもの、誠実なものに信頼を感じる。
信頼があるから、他の友人にも紹介ができる。
信頼があるから、何度でもお願いしたいと思う。

自分ができることを発信する

2つめは、発信することだ。

自分の得意なことや興味があることは、黙っていては伝わらない。
自分から「これが得意です!」ということに気恥ずかしさと躊躇いを感じるかもしれないが、周囲の人に汲み取って欲しいと願うのはエゴである。
自分から、自分の得意分野を必要としている人に積極的に情報を届けなければいけない。

そのためには「私はこれができます!」「私はこういうことに興味があります!」と発信し続けることが大切だ。
発信の基本は、楽しく行うことである。
人は自分は興味がなくても、楽しそうなものには感心を抱く。
誰かが心の底からそれを楽しそうに行なっていたり、熱く語っていたりすると、「それなあに?ちょっと教えて。」となるのである。

そこから必要な人に情報が広まっていく。

大切なのは

大切なのは、誰かのためになりそうなことをやるのではなく、自分が心を込めて誠実に楽しくできることをやるということだ。

「誰かのためになることをやろう」と思うと、目が自分の心ではなく、他人の心を向いてしまう。
それでは自分の心を込めることはできない。
心が込もっていなければ、人を惹きつけることができない。

「誰かのために」と考えると、誰かが良い反応を示してくれなかったら、楽しくなくなってしまう。
楽しくないものには、誰も興味を持ってくれない。

何をすればいいか分からないときは

「誰かのためになりたいけれど、何をすればいいか分からないから、何もできない」や「誰かのためにならない自分は、この世に存在する価値がない」といった考えは、本末転倒の考えだ。

自分が何もしていないから、誰かのためにならないのである。
自分が自分の存在価値を発信しないから、誰かのためにならないのである。

それでも何をしていいか分からないなら、今、自分がやっていることを見つめ直すのだ。
毎日ご飯を作っている。洗濯をしている。電車に乗って通勤している。事務仕事をしている…。
その中で、自分が心を込めて誠実にやっていることはあるだろうか?
今後、心を込めて誠実にできることはあるだろうか?

まずは、とりあえず何か一つのことを心を込めてやってみる。
心が込められそうになかったら、それは諦めて、違うことに心を込めてみる。
こうやって、一つずつ試して、自分が心を込めて誠実にできることが何かを探すのだ。

心を込める対象は、他の人から馬鹿らしく思われるのではないか?と感じるようなことでも全く問題ない。
それを楽しめる人には希少価値がある。

もし今、自分が何に心を込められるかが分かっていなければ、この先どれだけ頭で考えても分からない。
頭と心は別物だからだ。
何でもいいから行動し、一つ一つ体験して、その都度心に聞くしか方法はない。

もし本当に誰かのためになりたいなら、まずは自分の心に聞くことだ。
そして心と一緒に答えを探すのだ。

「心を込めて、誠実に、楽しくできることは何ですか?」

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