世の中から「住む世界が違う人」が消え去りつつある今。


「世界が違う」

先日、両国国技館で大相撲の場所が開催されている最中に、両国にある吉葉というちゃんこ屋さんに行った。
お客さんの層が、私がいつも行くような居酒屋とは違い豪華(某スポーツの世界チャンピオンや美しい着物を着こなした華やかな女性やお金持ちの雰囲気を漂わせている男性や…)で、おひねりが目の前を飛び交っていて、「世界が違う」と思わされた。
どの客も相撲が好きというのは共通していて、「不祥事云々言われているけど、我々は昔もこれからも応援し続けましょう!」という温かい雰囲気だった。

客の中には、タニマチに連れられた若い力士もいた。
今では大卒の力士も増えたが、中卒で角界に入る力士も少なくない。
学校を出てすぐ角界に入ると、この違う世界のことが普通に思えるだろう。
中卒や高卒ならなおさらそう思うだろう。
こうして、住む世界が違う人になっていくのだと思った。

住む世界が違う人たち

私が子供の頃は、芸能人も政治家もプロ野球選手も、住む世界が違う人という認識だった。

いつ頃からだろう、距離が近づいて来たのは。
アイドルに「会いに行ける」ようになった頃だろうか。
いや、もっと前、『夕やけニャンニャン』という素人の女子高生がアイドルになっていく様を見せるテレビ番組が流行った頃だろうか。
私が子供の頃は「アイドルはトイレに行かない」と言われていたが、アイドル=偶像だった時代はとっくの昔に過ぎ去ったのだ。

インターネットの普及が決定的なのは確かだろう。
芸能人も政治家もプロ野球選手も、SNSで自分の日常を発信し始めた。
これまで謎に包まれていた私生活を垣間見ることで身近な存在と感じられるようになった。
手の届かない違う世界の住人から、同じ世界の人に感じられるようになったのだ。

世界の変化

芸能人や政治家やプロ野球選手が違う世界の住人だった頃、彼らは一般的な常識を超えた存在でもあった。
妾がいることが公然の秘密となっていた政治家もいたし、マウンドに上がる前に酒を引っ掛けると言われたプロ野球選手もいた。(本人の名誉のために付け加えると、後者は1試合だけらしい)

当時は「豪快さを表す伝説」という扱いで好意的に言われもしたが、今ではどちらも大バッシングだろう。
住む世界が違う人と一般人との距離が近づくにつれ、彼らの行動も一般人の常識で判断されるようになったのだ。

いい・悪いの問題ではない。
世の中の流れがそういう方向に向いたのだ。
この流れは、逆行させることはおろか、止めることもできないだろう。

世界は更に変化する

話を相撲に戻す。
今の相撲協会の理事には、中卒で角界に入り、30年40年と「違う世界の住人」をやってきた人たちがいる。
隠蔽体質だのなんだと言われているが、それはただ世界の変化についていけていないだけなのだと思う。
一般常識からいうと不祥事と言われることでも彼らにとっては日常であり、それをわざわざ一般社会の人たちに公表するという発想がないのだろう。
普段彼らのそばにいる人は、違う世界の常識をわかっているから温かく見守ってくれている。
しかしマスコミが彼らの日常を一般社会に広めたことで、普段相撲と無関係の人たちが一般常識に基づいた意見を言い出した。
このことに戸惑っているのだろう。
 

今は過渡期なんだと思う。
いい・悪いではなく、これが世の中の流れなのだ。
違う世界の住人は、もう違う世界の住人ではいられなくなったのだ。

ありとあらゆる場所で、この過渡期による混乱が起きている。
今後も一般社会の人間は、違う世界の住人を自分たちの常識で裁こうとするだろう。

こうして全員が全員、一般社会の人間になった時、生まれるものは何だろう。求められるものは何だろう。

今は違う世界の住人だけが変化に戸惑っているように感じるが、一般社会の我々にも近いうちに…あるいは既に始まっているかもしれないが…世界の変化が押し寄せるだろう。
新しい世界へ想像を巡らせて、準備を始めるときが来たのだ。

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