私が植物の世話をして、植物が私の世話をする。


家に大きいパキラがあった

かつて、家に私より背の大きい観葉植物があった。
それはツヤツヤとした葉っぱをたくさん持つパキラだった。

出会いは社会人1年目の時。
甘木という福岡の田舎町のホームセンター・ナフコの片隅にいたのだった。
植木コーナーの端っこにポツンと置いてあり、なんとなく所在なさげに見えた。
その姿が、私の姿…初めて東北の外に出て文化の違いにとまどい居場所を見つけられないでいた私…に重なり、衝動買いしたのだった。

当時のパキラは1mを少し超えるくらいの背丈だった。
一人暮らしの狭い部屋には存在感のある大きさだったけれど、家の中にパキラという命があることで、どんなに仕事がきつくても一人ではないと慰められた。

パキラの思い出

福岡から大阪に引っ越す際は、車の助手席に乗せて急ブレーキをかけないように気をつけながら、一緒に高速道路で移動した。

羽アリが大量に発生して、驚いたこともある。
慌てて近所の白アリ駆除の会社に電話をしたところ、「うちは家屋の白アリ専門で、植木は園芸店に相談した方が…」と先方を困惑させてしまった。
しかし、親切に白アリと普通のアリの見分け方を教えてくれ、結果、普通のアリで胸をなでおろした。

カミキリムシの幼虫に根っこをかじられて、倒れかけたこともある。
その時は植木鉢を掘り返し駆除した。
どんどん弱っていくパキラの姿に、芋虫が気持ち悪いなんて言ってられなかった。

こうして振り返ると、一緒に暮らした17年の間に、思い出がたくさんあることに気づく。
相手は何も話さない植物であるが、私の生活の一部だった。
 

パキラを迎えてから17年が経過した冬に、パキラは全ての葉を落とし、枯れてしまった。
臨終を迎えたパキラは、その年の春から調子が悪かった。

パキラの調子が悪かったとき、私はブラック企業に勤めており、辛くてたまらない時期だった。
パキラは細々と命をつないでいた。
私は、夏の盛りにブラック企業を逃げ出した。
秋の間は何もせずにぼんやり休んだ。
冬になり、元気に生活ができるようになった。

それを見届けたかのようにパキラは生気を失った。

私と植物と

パキラが枯れるより前の話だが、こんなこともあった。

私は幸福の木を拾ったことがある。
祝・移転の札が刺さった枯れかけた幸福の木がゴミ捨て場に置いてあったのだ。
持ち帰り、根ぐされを起こしていたのを介抱したら、一部の幹が持ち直した。
この木を拾った直後に夫と出会ったので、本当に幸福の木だと喜んでいた。
しかし残念なことに、夫と結婚した直後に、まるで安心したかのように突然枯れてしまった。
 

植物が枯れないようにと、私は水をやり、植え替えをしと世話をした。
それと同じように植物の方も、私が枯れてしまわないように、背丈を伸ばし葉っぱを光らせ、命を奮って世話をしてくれていたのかなと、そんなことを考える。

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