したいことをしたいという真っ直ぐな言葉で気づいたこと
先日、友人が「こういうことがしたいのよ」とふと言った。
それをとても好ましく思った。
好きなものは好き、欲しいものは欲しい、したいことはしたい。
こう素直に言える人は魅力的だ。
そして、それを聞くことは、とても嬉しい。
好きなものは好き
好きなものは好きと言うことは、2つの行為が合わさったものだ。
1つは、自分の欲望を受け入れること。
もう1つは、それを発言すること。
どちらもなかなか難しい。
自分の欲望を受け入れること
自分の欲望を受け入れることは難しい。
まず自分の欲望に気づくことが難しい。
自分が何を望んでいるのかを意識する時間は、自分が何をするべきかを意識する時間に比べて、少ない。
自分の望みが浮かび上がってきても、それを消し去る力も同時に浮かび上がる。
時間がない、スキルがない、周囲の人が許さない…
自分の望みを消し去り続けていると、最初から欲望なんて感じずに封じ込めるようになる。
心の奥底に、葬り去られた欲望がどれだけ眠っていることか。
自分の欲望に気づいても認めることが難しい。
欲深いのではないのだろうか?
周囲の人を悲しませるのではないだろうか?
こんなことを望むなんて許されないことではないだろうか?
時に欲望は自分の闇と結びついている。
自分の心の奥底にあるのは倫理観が覆るような欲望かもしれない。
そんな思いを持っていることを恥じ入りたくなるような欲望かもしれない。
自分でも愕然とするほどの欲望かもしれない。
それでも、自分がそういう欲望を持っていることを認めて受け入れることができたなら、どれだけ楽になれるだろう。
欲望を叶えるかどうかは別としても、そういう気持ちを持つ自分だけでも否定せずに認められたら、どんなにいいだろう。
自分の欲望を口にすること
そして、自分の欲望を口にすることはもっと難しい。
誰かに話して「何それ?」と馬鹿にしたように言われたら、自分の存在そのものを否定されたような気持ちになりそうだ。
「無理だよ」「恥を知れ」「そんなこと言うなんて最低!」こんなことを言われたら、話したことを後悔するだろう。
自分の欲望を口にするとき、少なからずの信頼感がそこには存在する。
この人にはこれを言っても大丈夫。
そう思わないと口にできない。
自分を認めて受け入れることと、そこに信頼があること。
欲望のレベルによって程度の差はあるが、誰かが自分の欲望を口にするとき、この2つがそこにあるのだ。
そして私は
友人の真っ直ぐな言葉が、私自身は私と真っ直ぐ向き合っているかと問うてきた。
その場に満ちていた信頼が、私を素直な気持ちにさせてくれた。
毎日楽しいことに満ちている日々ではあるが、自分の心の奥深くまで見ていただろうか。
好きなものは好き、欲しいものは欲しい、したいことはしたい。
ここ数年、少し頭でっかちになっていたかもしれない。
もっと自分に素直になろうと心に誓った日となった。