価値のない人間はいないけれど価値なんて無くていいし、それが強さになると気づいた日の話
心の中に
朝、目が覚めた時、心の中にしっかりとした足場的なものが現れたことを発見した。
空想の中のイメージであるが、その足場は人が一人乗れるくらいの大きさの正方形で、その上で飛んだり跳ねたりしてもびくともしそうになかった。
足場が突如現れた理由として、思い当たるのは一つしかない。
前夜、私は友人と会っていた。
これまでの私
幼い頃
もともと幼い頃から私は「価値がない人間には存在する意味がない」と考える傾向があった。
幼い頃は世界が狭いので、正確に言うと「価値がない子供はこの家にいてはいけない」という思いだった。
そして、私は自分自身には価値がないと思っていた。
価値がないことが両親にばれたら捨てられると思っていた。
学校に行きはじめると少し世界が広がったが、その感覚は消えずに続いていた。
教師にも友人にも自分に価値がないことが知られるのが怖かった。
そうは言っても、いつも上手に隠し通せるものではない。
自分の価値の無さの証明につながる失敗をすることは何度もあった。
その度に死にたいほどの思いに駆られた。
学校に行くのが怖く、けれども家にいるのも辛く、人生は苦しいものだった。
クラスメイトたちは失敗をしても許してくれていた。
もしくは私が失敗したと思っていることすら気づいていなかった。
それなのに、私はそのことを素直に受け止められなかった。
「ああ、今回はセーフだった。次は失敗しないようにしなくては」
そう思い続けて、過ごしていた。
大人になっても
大人になっても、同じ思いを持ち続けていた。
会社でも気を張って、自分の価値の無さを表に出さないように頑張り続けていた。
けれども、そう何年も何十年も頑張れるものではない。
自分自身に疲れ果て、心の学びに取り組んだ私は、新しい見解を手に入れた。
「価値がない人間は存在する意味がない」という基本思想は揺るがなかったが、「価値のない人間はこの世に一人もいない」ということにも思い当たったのだ。
これまで、私にばかり価値がなく、周囲が皆素晴らしい人であることに劣等感を抱いていた。
しかし、そうではなく、私にも何らかの価値があったのだ。
もちろん世の中全ての人が私の価値を必要とするわけではない。
でも、どこかの1人…もしかしたら2人かも3人かもしれない…は、確実に私を必要としている。
私が自分の思いを発信すれば、それを必要とする誰かに届く。
私が自分を表現する手段として得意なのは文章だ。
文章を書き続けていれば、私を必要としてくれる人と繋がることができる。
こういう思いで、ブログを書き続けていた。
手に入れたもの
新しい思い
私の心に足場が生まれた日の前夜、私は友人にこの話をしていた。
友人の考えは、私と異なっていた。
「価値のない人間はこの世に一人もいない」という思いは同じだったが、友人はこうも言った。
「でも別に価値や意味なんてなくても一緒にいて楽しいとかってあるよね?」
私にとって、価値や意味のないものは存在してはいけないものと同義なので、意味がよく理解できなかった。
そんな私に、友人は根気強く、いろいろ言葉を変えて説明してくれた。
うまく理解できないまま帰宅した私に起きた変化が、冒頭に書いた足場の獲得だったのだ。
いつのまにか「価値がない人間には存在する意味がない」という基本思想は溶け去って、「人間の存在意義には価値の有無は関係ない」という新しい思いと置き換わっていた。
私が価値を提供できなくても、認め受け入れてくれる人はいるのだ。
そのうえ、価値がなくても全く問題ないのに、実際のところは全ての人間に価値がある。
これはなんて素晴らしいことなのだろう!
もう焦らなくていい
これまで、全ての人間に価値があるのだから、その価値を積極的に発信しないといけないと思っていた。
こう考えていると、発信できない状態になったときに焦りが生まれる。
発信できないと、不安になっていたのだ。
しかし、人間は、価値を提供できなかったとしても存在していいのだ。
それならば、疲れた時にはきちんと休み、発信できるようになったときに、発信できる範囲に価値を提供すればいい。
これでいいのだ。
何も焦ったり不安になったりする必要はない。
足場とは
私の中に生まれた足場。
これは何を表すのだろう。
これまで私は常に不安と隣り合わせにいた。
不安を消すために、気を張り続けていた。
常に足元がぐらぐらするなかで、必死に踏ん張っていたのだ。
しかし、価値があったって無くたって、存在していて許される。
そのことを知ったから、足元にぐらぐらしない確りとした場所が生まれたのだ。
まだどこか半信半疑だから、人が一人しか乗れないような大きさの足場なのだろう。
これから先、経験を重ねて、この気づきが確信になった時、私の足場はもっと大きく頑丈なものになるだろう。
そのとき、私は、強さを手に入れる。
しっかりとした場所で、真っ直ぐ立ちあがる強さを手に入れるのだ。
※話を聞いてくれた友人について。
もともとは友人がコーチングを始めるというので体験セッションをお願いしたのだが、全くコーチングとは関係ない、どちらかといえばカウンセリングという分野の話に終始してしまった感はある。
それでも、私の思いを受け止めて誠実に率直に向き合ってくれたかずいちさんに感謝!
2人で会ったのは初めてだったのにとても話しやすくて、これまでひた隠しにしていた自分の思いをするすると語ってしまった。