自分が所属している組織が不祥事を起こすことについて


2000年7月

そのとき、私は大阪駅構内の喫茶店のアルバイト店員だった。
7月の暑い最中だというのに色の濃いスーツにきっちりネクタイを締めた3人組が来店したのを、少し不思議な気持ちで迎えた。

3人組は、4人がけのテーブルに大阪市内の地図を広げて、何やら打ち合わせをしている。
地図には、赤い印が数多く打たれている。
どうやら、このたくさんの赤い印のところを一軒一軒訪問するつもりらしい。
漏れ聞こえた言葉から想像すると、お詫び行脚のようだ。

彼らの会計は私が担当した。
日中に来るスーツ姿の客は領収書を求めるることが多い。
このときも先回りして領収書が必要か訪ねると「お願いします」との返事だった。
領収書の冊子を取り出して宛名にする社名を聞いた。
「ゆ…。あ、やっぱり領収書いりません。」

領収書を受け取らず足早に去っていった3人の背中を見て、気がついた。
そのとき関西地方では、とある集団食中毒事件が大問題となっていた。
この3人は、その事件を起こした会社の社員だ。
被害者の自宅を訪問するための打ち合わせをしていたのだ。

この事件は、当該企業の初動が遅れたうえに社長の失言も相まって、混乱を極めていた。
この会社への信頼は地に落ち、食中毒の原因となった低脂肪乳だけではなく、グループの製品全てが撤去される事態となっていた。
そして、社員は、自分の会社の社名を人前で言えないほど、追い詰められていた。

私も、一時はこの会社の乳製品は、二度と買いたくないと思っていた。
しかし、地図を囲み話し合う3人の真摯な姿には心打たれた。
この3人が早く元の生活に戻れるように、そっと祈った。

1988年6月

その後、私はとある会社に入社した。
その会社の親会社は、かつて大きな事件を起こしたことがある会社だった。

リクルート事件。
事件当時、リクルートという会社が何をしているか知らなくても、事件の名前は全国民が知っていたと言って過言ではないだろう。
そのとき中学生だった私も、ただただ悪いことをした会社というイメージを持った。

リクルート社の社員は、良くも悪くも過去を振り返ることを好まない。常に未来を語りたがる。
しかし、そんな社員達でも、リクルート事件については特別な思いがあるらしい。
折に触れて当時の話を聞かせてくれた。

仲が良いと思っていた取引先が、突然よそよそしくなった話。
社章をつけて歩いているだけで、見知らぬ人に絡まれた話。

「会社じゃなくて、あなたを信じて注文しているんだよ」と変わらず取引を継続してくれたお客様の話。
「君の意見は?」と問われ、取引先と腹を割ってとことん話したことで絆が深まった話。

当時のリクルート社の社員は、自分には全く関係のないことのためにひたすら頭を下げた日々を通じて、人の冷たさと温かさのどちらをも深く感じることとなった。
あの経験が自分を強くしてくれた、大人にしてくれた、と、当時を知る者たちは言う。

2018年5月

今、ある一つの事件が、世間を賑わしている。
発端はアメリカンフットボールのひとつのプレイだった。
だが、あっという間にアメフトという枠を超えて、「どんなに低劣な命令でも上司の指示なら従わざるを得ない組織が存在すること」「問題が起きた時に、弱い立場の者に責任を押し付けて切る組織が存在すること」について日本中の人々が考える機会になっている。

当該選手が所属していた大学は、日本で一番学生数が多いと言われている大学だ。アメフト部とは全く縁がない学生が多いだろう。
自分には全く無関係のところで起きた事件に巻き込まれて、歯がゆい思いをしている人も多いだろう。
人前で自分の大学名が言えなかったり、見知らぬ人に「あの大学の学生なの?」と絡まれたりしている人もいるだろう。
 

こういった事件は、肩書きで人を判断する人を残酷なほど浮かび上がらせる。
信頼していた人が急に余所余所しくなって、傷つくこともあるかもしれない。

でも考えて欲しい。
監督の圧力に負けて他人の身体を傷つけた学生と、世の中の風評に負けて他人の心を傷つける人間との間に、どれだけの違いがあるだろう。
自分が悪いことをしたとすぐに気づいて謝罪した学生に対し、自分が同じことをしていると気づかず拳を振り上げる人は、どれだけ愚かなのだろう。

愚かな人間に傷つけられる必要はない。
 

こういった事件は、人をありのままの姿で見つめることができる人をも浮かび上がらせる。
自分の考えや感じていることをありのまま出せばいい。
その思いを受け止めてくれる人は必ずいる。

思いは人と違っていていい。
信頼で結ばれている人間同士は、違う思いでさえ受け止め合える関係を築くことができる。
信頼関係を築くには、相手に合わせるのではなく、自分の思いを素直に出すことだ。
 

報道は物事のとある一面しか報じない。それに怒りを感じることもあるだろう。
世の中の理不尽さに泣きたくなることもあるだろう。

怒り、悲しみ、悔しさ。
そしてそれを取り去ったところにある、自分の素直な思い、意見。
これらを全部見つめ抜く。
そして、それを受け止めてくれる人に出会えたならば、それは一生ものの出会いだ。

愚かな人間なんて、こちらから願い下げで構わない。
ありのままの自分を受け止めてくれる人は、この世の中に、必ずいる。

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