20歳の誕生日に金の指輪を貰うと幸せになれると彼女は言った
19歳の誕生日、20歳の誕生日
「19歳の誕生日に銀の指輪を、20歳の誕生日に金の指輪を男の人から貰うと幸せになれるんだよ」
こう言って、19歳の私に銀の指輪と金の指輪を見せてくれた年上の友人は、今幸せにやっているのだろうかとふと思った。
果たして今もこんなことを言われてるのかと思って調べてみたら、「19歳の誕生日に4℃のシルバーアクセサリーを、20歳の誕生日に4℃のゴールドアクセサリーを、」に変化していて笑った。
4℃の商業主義というより、4℃が好きな女の子たちが尾ひれを付けたのだと思うのだが、どうなのだろう。
欲しいものは…
私は、20歳の誕生日に金の指輪を貰えなかったけど、今幸せだと思う。
でも、あのとき側にいた人に指輪が欲しいと言えていたら、私の人生は今とは少し違っていたような気がする。
指輪をねだっても、あの人は買ってくれなかっただろうことは分かっている。
私の願いは何でも拒否する、そんな一面がある人だった。
それでも、あのとき言えていたら、人生がもう少し彩り豊かだった気がする。
いつも一番欲しいものは言えなかった。
手に入っても入らなくてもどちらでもいいものは欲しいと言えるのに、本当に欲しいものは欲しいと言えなかった。
それでも、結果が分かっていても、自分の欲しいものにちゃんと素直になっていたら良かった。
素直な気持ちを表に出せていたら良かった。
どうせダメだからと自分の気持ちを封じ込める癖のせいで、どれだけのチャンスを手に入れられずに来ただろう。
そうやって自分の気持ちを抑えているうちに、自分が本当は何が欲しいのかさえ分からなくなってしまった。
置き去りにした心の欠片
本当に欲しいのに我慢したものは、年を取っても心に居座り続ける。
高校生の時に欲しかったドクターマーチンのブーツは、30代半ばに手に入れた。
小学生の時に憧れていた長い髪を目指して、40代半ばの今になって髪を伸ばしている。
本当の自分の願いを知りたくて、かつての忘れ物を心の中に見つけるたびに拾い集めている。
20歳の誕生日に欲しかった金の指輪。
指輪だけなら夫に言えば買ってくれるかもしれないが、20歳の誕生日には戻れそうにない。
今できることは、あの時封じ込めた気持ちをそっと取り出して、「指輪、欲しかったなあ」と呟くことだけ。
それだけでも心が震えて、あのときの感情が溢れ出しそうになる。
今でも一番欲しいものを口に出すのは苦手だ。
自分が本当は何が欲しいのかもよく分からない。
かつて封じ込めた感情を全部表に出したとき、ようやく見えてくるのだろうか。
自分の心をリアルタイムで感じられる、そんな日が来るまで、自分の心の欠片を拾い集める日々が続く。